あなたの吃りをアップグレードさせる?!
『治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方』感想文

斎 由紀(30代 主婦)

 
『治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方』
 
 この本は、文字通り吃音に関する本です。しかし、ご自身が吃音である、或いは吃りに深い愛情をお持ちの研究者によって書かれた本です。ですから、吃りを否定することなく育てようという強い意志が感じられます。
 それが、小さな子どもを持ち日々育児に奮闘している私に、育児ならぬ、”吃りを育自する”という気付きを与えてくれました。
 
その1)父の愛で吃りを厳しく育てる
 伊藤さんによる、なぜ吃音の悩みが理解されないか? の項で、「吃る人が吃ることを隠さずに吃っている姿を見せないと、立ち往生していることを相手にことばで伝えていかないと、吃音はいつまでも理解されないだろう」(第2章 P.27)、水町先生によりシルバーマンとペインターの職業選択のアドバイスが引用される項で、「吃音者はその職務を遂行する能力に欠けているのではないかという「周囲の偏見に対処する能力」がその吃音者にあるかどうか、(中略)この偏見に挑戦するのは吃音者の責任である」(第7章 P.142)とあります。
 
 正直な感想は、「キビシ〜!!」。わが身を振り返れば、「ありのままの自分を理解してほしい」という人としてのピュアな欲求と、「とりあえずその場をきれいにおさめたい」処世術との葛藤のなかで、大人になればなるほど後者を優先してきた感があるからです。しかしながら、根底にある「大丈夫、あなたは理解されます。あなたには能力あります」という絶対に肯定的なメッセージと共に受け止めるならば、一転これらのキビシイ言葉は、『胸をはって吃りつつ進め!』と、勇気を与えてくれるこの上ない優しいメッセージとなって、吃りの私を育てるものとなります。
 
その2)母の愛で吃りを優しく育てる
 また、今一度、吃る自分を振り返ることの大切さを感じさせられたのは、佐々木和子さんの愛情あふれる手記によってです。「その後の私」で、息子さんが吃りはじめたことによって、ご自身の吃音に向き合う姿勢が再び大きく揺り動かされるところがあります。
 「諦めることは、『今の自分のままでいい』と自己肯定すること」、息子さんの吃音についてもご自身が諦めることによって、「彼に自己肯定の鍵を渡してやれるのは私なのです」、と息子さんの吃音との戦いをやめます。(第3章 P.59)
 佐々木さんの言葉から滲み出した愛は、「どうぞ自己肯定の鍵をご自身に手渡してあげてみては…」と温かく、吃りの私を育ててくれようとしています。
 
 相変わらずおろおろしている私の吃りはどうも旧式なようで、更にアップグレードの余地がありそうです。厳しく優しく、大切なものを育てるように、私も自分の吃りを育てることができるといいな…と思わせられる本でした。
 
OSP機関紙『新生』2005年05月号掲載