『どもる子どもとの対話 〜ナラティヴ・アプローチがひきだす物語る力〜』読後感想
ナラティヴ・アプローチは吃音問題と相性が良い
西田 逸夫(大阪スタタリングプロジェクト)
 
『どもる子どもとの対話』表紙
 
 「とっつきにくい部分のあるナラティヴ・アプローチが、対象が吃音問題だと理解しやすくなる。と同時に、複雑で安易な理解を拒む吃音現象が、ナラティヴ・アプローチの前にはスッキリした姿を現す」
 私がこの本を一読しての鮮明な印象は、このようなものだった。この第一感が当たっているかどうか、じっくりと読み直した。どうやら私が抱いた印象は、かなり当たっているようだ。そう、ナラティヴ・アプローチは吃音問題と相性が良い。
 
 この本の第2章には、その相性の良さが分かりやすく描かれている。収録されている幾つもの実例が、どもる子どもたちに「吃音の外在化」が働く際に、何が起こるかを示す。
 国重浩一さんによる、第3章の「外在化」の解説を読み解くと、ナラティヴ・アプローチを通じて「吃音の外在化」がうまく働くときには、同時に、吃音の苦悩が軽減される。もちろん、どもる大人にもそうしたことは起こるのだが、この本で読めるのは反応がストレートな子どもの事例なので、分かりやすく伝わってくる。
 
 ある子どもは、自分のどもりを絵にしていて、自分と同じ色の服を着せ、そのことに気づいた教師の問いに答える形で「どもりと仲良し」だと回答する。ある子どもは、自分の吃音を「とげ」と名付け、それが自分に仕掛けるいたずらをさまざまに語るうち、全部やっつけないで半分は残っていてもいいと発言する。自分の持つ吃音を自分の言葉で描写することが、そのまま、自分が吃音と共存できることの気づきになっている。
 教師と子どもという組み合わせで起こりがちなのは、国重さんも本書で警告している、決まった回答に誘導するような対応だ。その点、ここに収録されているエピソードは、想定を軽々と超え、一つひとつがユニークな結末を持ち、誘導とは無縁だ。読後感がさわやかなのは、きっとそのせいだ。見かけ以上に深い、「豊かな描写」になっているのだ。
 
 読みやすさにつられて第2章を読み進めるうち、読者はナラティヴ・アプローチの中核に触れる。実はそのとき同時に、吃音問題の中核にも、読者は触れている。
 
日本吃音臨床研究会機関紙『スタタリング・ナウ』2019年1月号掲載
 

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