第10回吃音ショートコース報告・PART 4&5

後半部

2日目《講義と実習》
〈PART 4〉13:00〜17:30 &〈PART 5〉19:30〜21:30

テーマ:自分を生きる 運命を生きる
講師:諸富 祥彦(もろとみ あきひこ)さん

晴れ間の広がる昼の空

諸富講義 §3
「孤独であるためのレッスン」概説


 ここでは、諸富さんの講義から、「孤独であるためのレッスン」を取上げます。
 これは、このショートコースのテーマである「自分を生きる」ことのために、一人でいる時間を大切にする、ということです。
 最近はやりの言い回しを使えば、「孤独力」を身につける、と言えるかも知れません

 今私が言った「孤独力」には、ふた通りの意味が考えられます。
 消極的な意味では、自分が他人の目に左右されずに生きる力。そして、積極的な意味の「孤独力」は、自分自身と深く対話することの出来る能力です。能力と言うときに人が思い浮かべる、速さや量の次元ではなく、深さの次元が、ここでは問題になります。
 この「孤独力」が十分にあれば、他者からのプレッシャーを余り感じることなく、楽に生きることが出来るようになります。
 今の社会で人が最も気にしていることは、良い子でいたい、誰からも好かれていたいという気持ちから来る、「失愛恐怖」です。そんな中、今の日本の学校で子どもが学ぶことは、「仲間はずれになると恐いぞ」という、「裏カリキュラム」とでも呼ぶべきことです。

 そんな社会だからこそ、「孤独力」が必要になって来るのです。大事なのは、一人で過ごす時間を作り、積極的に楽しむことです。
 自分の心のスペースを取り戻すには、自分が一人で楽しむ、物理的空間を確保することも大事です。


諸富講義 §4
「心の虫とつき合おう」概説


 次に、諸富さんの講義から、「心の虫とつき合おう」という話を取上げます。
 これは、時々自分がおちいる不本意な状態を、自分に取り付く「心の虫」として外在化する技法です。自分でいやだと思っている面を、自分に責任のない、虫のしわざだと受け止めるのです。
 例えば、自分のなまけ癖が気になる人は、呼んでもいないのにいつの間にかしのび寄ってしまう「なまけ虫」がいると考えて下さい。そのほか、「人のせいにしたがる菌」とか、「カンシャク虫」とか、自分で名前を付け、それらを一つひとつ書き出して、うまくつき合うことを考えるのです。

 当日、私が自分でやってみると、「鼻高虫」「イライラ虫」「おせっかい虫」「後回し虫」「ヒロイズム虫」など、普段気になっている自分のいやな面が、虫の形になってゾロゾロと紙の上に這い出して来ました。

虫の視線から見た景色

 自分の虫の名前を書いた紙を、後ろに座っていたNさんとお互いに見せ合って話しているうち、私の中にはこれらの虫の親分格の、「ひとくらべ虫」がいすわっていて、紙に書き出した虫はその下っ端らしいと気づきました。

 この技法の大事なところは、こうして外在化した「心の虫」を排除しようとせず、「虫さんの気持ちを聞こう」という態度を取ることです。「虫さんは自分にどうして欲しいのか」と考えを巡らすことが、自分の内なる声に耳を傾けることになります。

空と雲と山と木々  自分自身を受容れることが出来ない間は、自分に変容が訪れることはなく、人はそのままで居続けるしかありません。自分自身を受容れることが出来るとき、初めて人は、変化することが出来るのです。

 少し違う方面から話しましょう。例えば自分がイライラしているとき、そのイライラをおさえつけようとすると、余計にイライラがつのります。
 心理療法の一つには、クライアント(来談者)の感情を十分に表出させるための技法があります。それは、例えばそのクライアントが持つ怒りを、わざとおさえつけさせる、というものです。しばらくそれを続けると、やがて相手は自分の怒りを外に爆発させます。

 ここで述べた「心の虫とつき合おう」という技法は、これに対して、言わば「エコロジカル」な対応です。
 自分の抱える否定的な感情に対して、いじくったり闘ったりするのをやめるのです。自分の中にあるものを、無いものにしようとするのをやめるのです。ことがらを明るみに出すのです。あきらめる、明らかに見るのです。
 否定的な感情は、その存在を認め、耳を傾け、声を聞くことによって初めて、別なものに変化するのです。

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