2025年度 最優秀賞
キャンプが導いてくれたラブストーリー
井上 詠治(いのうえ えいじ)
これは私が学生(子ども)としてサマキャンに参加していた頃の話である。そのキャンプで一人の女性に出会った。女性はスタッフとして参加していて、背が高くとても綺麗な人だった。皆からは密かに「宝塚さん」と呼ばれていた。確かに綺麗な人ではあったが、その時は特に気になることもなかった。
当時、女性に好意を持たれたこともあったと思うが、吃音に深く悩んでいた私は、どもる惨めな姿を見たらきっと去っていくに違いないと思い込み、恋愛とは距離を置くようになっていた。私がモテないのは吃音のせいだと決め込み、まともな恋愛はしてこなかった。
そんな中、その女性(以降Aさん)と偶然コンビを組んで劇の練習をすることになった。ぎこちないながらも二人で練習をした。いざ話をしてみると、とても人当たりのよい、やさしい人だった。練習が終わってから、Aさんと一緒に劇の小道具を作った。作業をしながらいろいろな話をすることができた。とても幸せで温かな時間を過ごした。恋愛を拒絶していた私だったが、いつの間にかAさんに強く惹かれていた。
キャンプ最終日。残念ながら何の進展もなく帰路に着いた。「まあこんなもんさ。恋愛なんて下らない」そう自分に言い聞かせて、またいつもの冷たい自分に戻っていった。
キャンプが終わってから、しばらくは放心状態だった。このまま諦めて忘れよう、いや、諦めたくない。2つの気持ちが複雑に混ざり合っていた。そう思いつめていくうちに一つの結論に達した。「何も諦める必要はない。一年間はずっと好きでいよう。一年後、もし会えたら自分の気持ちを伝えてそれですっきりしよう。」そう思うようになった。
とは言え、一年間会えない人を好きでいるのはそう簡単なことではなかった。Aさんが次のキャンプに参加する保証などどこにもない。結婚しているかもしれない。彼氏がいるかもしれない。そんな基本的な情報すらわからない。だけどなぜか、絶対また会えるという確信があった。全く根拠は無かったがそんな予感がしていた。
そのとき、果たして自分はAさんにふさわしい人間だろうか? と思い始めていた。今の自分には何もない。何も自信を持って、これだ! と言えるものがなかった。今与えられている環境で精一杯努力しよう。少しでもAさんに似合うような人間になろうと必死にがんばった。年末には資格試験にも合格した。学校もほとんど休まずに通った。
そうしているうちに、月日は流れた。信じられないことだが、一年間Aさんはずっと私の心の中にいた。しかし、好きでいる気持ちがだんだん重くなっていったのも事実だ。これだけ気持ちが高ぶってしまって、振られたときのショックは立ち直れないぐらい大きいのではないかと不安になりずいぶん苦しんだ。こんなに苦しいなら、さっさと振られて楽になりたい、と思うようになっていた。
夏休みに入り、キャンプの案内が届いた。参加者名簿が同封されていた。
Aさんの名前は・・・あった。
そしてキャンプで奇跡的な再会を果たした。「久しぶりー」Aさんは私のことを覚えていてくれた。しかし、今回のキャンプではAさんとの接点はほとんどなく時間だけが過ぎていくだけだった。しかも極度の緊張でなかなか声をかけることができない。このまま自分の気持ちを伝えずに終わってしまったらまた一年間苦しむことになる。それはもう耐えられない。気持ちばかり焦り結局Aさんとはほとんど会話をすることができなかった。
2日目の夜、いたたまれなくなって同部屋の仲間にAさんとのことを打ち明けた。最初は皆驚いていたがその後活発な意見交換が行われた。今まで誰にも話せなかった分少し楽になった。やはり仲間の存在は大きい。
最終日。もう後がない。今日終止符を打たないと前に進めない。実は諸事情で初日にAさんから三千円を借りていた。この借金を返すという口実で帰り道に声をかけるという作戦に打って出た。多少無理はあるが、もうなりふりは構っていられない。
京都駅で一旦さよならする。Aさんが乗り換える路線と下車駅は知っていたので時間差で乗り場に向かう。Aさんが前方車両に乗車するのを確認して私も後方車両に乗り込む。電車が発車した。線路のドコンドコンという音と、心臓の音がシンクロしているようだった。長かった恋愛が終わるさみしさと、ほんのわずかな希望と。
Aさんの下車駅についた。Aさんを遥か前方に発見した。この機を逃すまいと全力疾走で駆け寄った。息を切らしながら呼び止めた。
「びっくりした」そりゃそうだ。「借りてたお金、返しに…」と言った。「後でもよかったのにー」と笑ってくれた。「お茶でも…でも切符の都合もあるか…」とAさんは言った。そしてホームで帰りの電車を二人で待つことにした。反対側のホームに移動してベンチに座った。三人掛けのベンチの真ん中を開けてそれぞれ両端に座った。何となくこの距離感が心地よかった。しばらく雑談していたがいつまでも雑談をしているわけにはいかない。核心に迫る質問をした。「結婚されているんですか?」「今はしてないんですよ…」それからAさんは打ち明け話をし始めた。ゆっくりとした優しい口調で話してくれた。未熟な二十歳の私には少し重い内容で聞くことしかできなかった。年齢も一回り上であることが分かった。時間は過ぎ、電車を何本かやり過ごした。
時折夏の夕暮れの涼しい風がさーっとホームを吹き抜けていく。Aさんの髪がふわっと舞う。このときの光景は今でも強く印象に残っている。幸せな時間だった。
時刻は6時前。電車がホームに入ってきた。「もう時間だね。」Aさんは言った。
私は電車に乗り込んだ。「また、会ってもらえますか?」私はとっさに言った。「うん。電話して。」
ドアが閉まり、電車が動き出す。Aさんは笑顔で手を振ってくれた。私も手を振った。疲れや何やらで一気に力が抜けて電車のドアにもたれかかった。頭の中は混乱の一途をたどった。打ち明け話のこと、年齢のこと。結局自分の気持ちを伝えるという目的は果たせなかった。
「電話して」この期に及んでどうしても電話はできなかった。吃音のこともあり、電話でまともに話せる自信が全く持てなかった。悩みに悩んだ末、手紙を書くことにした。Aさんにとってはとても面倒くさいことだと思ったが、今自分ができる精一杯のことだった。女性に手紙など書いたことがなかったが、自分なりに一生懸命考えて心を込めて書いた。
しかし手紙のやり取りだけでは二人の関係は進まず、もっとも自分の心がどこにあるのかもわからず、どうしたいのかもわからなくなっていた。大切に思う一方、年下でまだ就職もしていない自分では迷惑になるのではないか、このまま身を引いた方がいいのではないか。自分の行動でAさんを傷つけてしまったらどうしよう…とか。
時間だけが過ぎ、それに比例して苦しみも増す。出口のない恋愛。どう考えてもハッピーエンドはありえない。「もう終わりにしよう。」いつしかそう思うようになった。このままでは自分はダメなままだ。ペンを取り便せんに思いをぶつけた。
「あなたに出会って、自分にはやさしさが欠けていたと気付いたこと。」「あなたのことが好きなこと。」「あなたの正直な気持ちを教えて欲しい。」「1ヶ月だけ待ちます。ダメなら、二度とあなたの前には現れませんから。手紙も、もう書きませんから…」
生まれて初めて書いた、最初で最後のラブレター。でも、とっても悲しい内容。乱暴な手紙ですが、どうか気分を悪くしないで。今の私に残された、あなたをあきらめれられる唯一の手段なのだから。
そして返事がきた。
「お互いの立場や年齢のことでブレーキがかかっていたのは事実。好意は持っているがそれが人としての好意なのか、恋愛なのかはわからない。気持ちを知ってしまった以上ブレーキは強く掛けざるを得なくなった。」手紙にはこうあった。
読み終わってから、自分のしたことに後悔し始めていた。こんなに真剣に考えてくれていたなんて。すごく苦しめてしまって。ごめんなさい。
それから私は距離を置くようにした。もうこれ以上Aさんを困らせることは許されない。
その後、Aさんはキャンプに参加することはなかった。
10年後。初めて出会った頃のAさんと同じような年齢になった。私はふとしたきっかけでキャンプにスタッフとして参加することになった。Aさんがキャンプでどのような気持ちになったのか、何を感じたのかを知りたいと思った。
「素直な気持ちになれた。」いつかのAさんの手紙にはこうあった。
かつての私がそうだったように、子どもたちが自分の課題と真剣に向き合っている姿を見て私も素直になれるような気がした。そこには計算も、嘘もなく。本音を言わないと、子どもたちに失礼なような気がした。あの時の打ち明け話もそんな真剣な気持ちを感じたからかもしれない。
スタッフとして初めて参加したキャンプも終わり、帰りの電車をみんなで待った。
私はホームの外れにあるベンチに一人腰をかけた。夏の午後。いい天気だ。ぼんやりしながら、いろんな事を思い出していた。突然さーっとホームに風が吹き抜けた。
あの時と同じ風。思わず熱いものがこみ上げてきた。
どもりで深く悩んでいた私にとって恋愛は自身を惨めにする存在でありで最大限回避すべき存在だった。しかし、勇気と覚悟を持って行動した結果、わずかではあったが、温かで幸な時間をAさんと過ごすことができた。前向きに生きることもできた。思い描いていたような結果ではなかったが、恋愛と真剣に向き合うことで精神的な成長につながった。キャンプが導いてくれた貴重な恋愛は、今でもなお、色鮮やかなラブストーリーとして心に刻まれている。
【作者感想】
今までの作品ではあまり取り上げることのなかった恋愛を主題としたことで、正直、皆様の意見が分かれるだろうと感じていました。特にハッピーエンドではない30年以上前の恋愛を、文学作品としてどうまとめ上げるかに苦心しました。当時の苦しかった気持ちが蘇り、筆が進まないこともありましたが、「いつか文章として書いておきたい」という思いで書き上げました。
今でも、あの時、あれこれ考えずにAさんに飛び込んでいけば、あるいは勇気を出して電話一本かけていれば、何か変わっていたのかもしれないと、少し心に残っています。他の人だったらどう行動したのだろう、と、皆様のさまざまな恋愛経験にも興味が湧いてきます。
この拙い物語が、吃音や恋愛で悩んでいる方々の心に少しでも寄り添い、前に進むための小さなきっかけになれれば幸いです。改めて、素晴らしい賞をありがとうございました。
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2025年度 優秀賞
堂々巡りからの一歩
吉本 佳子(よしもと かこ)
23年前に大阪吃音教室と出会い、どもりを受け入れられたことで、私の人生は楽になった。それまでは、どもりがなくならない限り、絶対幸せになれないと思っていたのに、どもっていても幸せな人生をおくることができると信じられるようになった。今もときどきどもるが、自分では気にしなくなった。しかし、最近自分が思っているよりもどもっているらしいことがわかり、それで気持ちがざわついてしまった出来事二つを記したい。
一つ目は職場で起こった出来事である。私は市立中学校で校務員として働いている。ある朝よく話しかけてくる女の子二人に靴箱のところで会ったので「おはようございます」と声をかけたら、一人の子は「あ、先生、おはよう」と返し、もう一人の子は「おっおっおっおはようございます」と私がどもっているときのまねをしながら返してきた。最初の子はそれをくすくす笑っていた。先生と呼ばれてはいるが、私は教える先生でないし、彼女らは普段からため口なのでしょうがないかと思いながら、どもるまねをされたのはちょっと傷ついた。最近そんなにどもっているつもりはなかったからだ。普段の関係から彼女らが「悪気もないけど想像力もない」ということはわかっているが、「それをされると、私は、嫌な気分になるんだけど」とにらみながら言ったら、彼女らは「しまった」という顔をして足早に通り過ぎて行った。
「大人げなかったかな。朝なんだから、もっとおおらかにやり過ごしてもよかったのかも」というざわざわが残ってしまった。コロナ禍のとき小学校の低学年〜中学年だった今の中学生は人との距離感をうまくとれない生徒が多い気がする。そして、先生でも養護の先生でもない私に話しかけてくる生徒は、何か問題を抱えていることが多い。彼女らは最近部活の人間関係でもめていることを顧問の先生が漏らしていた。彼女らが私に話しかけてくるときは、言いたいことを一方的に言い、「私は特別でしょ」をアピールしてきて、「親しいのだからため口は当然」と私の懐にどんどん入ってこようとする。2年前に前任の小学校から転勤してきて、今の中学校ではあまり生徒とかかわることがなかったので、始めはイマドキの女の子ってこんなのかな思いながらも、なんだか問題も抱えているようにも見えたので、2回目くらいまでは話を合わせていた。しかし、だんだん図に乗ってくるのが見えたので、3回目に「親しき仲にも礼儀あり」から始まり「あなただけを特別には見られません」「目上の人と話すときは敬語を使いましょう」と注意をしたのは確か先月だったか。しばらくは廊下ですれ違っても「ふんっ」という態度をされたが、だんだんまた寄ってくるようになり、最近は廊下ですれ違うときなど「かこちゃん!」と手を振ってくるようになってきていたのだが、これでまた無視されるんだろうな。まあまたそのうち、寄ってくるようになるか。来ないなら来ないで、私の役割は終わったってことで、それはそれでいいのだが。私としては「私はいやなんだ」のアイメッセージを送れたのはよかったと思う。昔自分が彼女らくらいのときにその知識があってそれが言えていたら、もっと明るい学生時代を過ごせたのかなと思ってしまった。今度は口元はにっこりしながら、眼だけで怒るという感じで言うようにしようか。
二つ目は、趣味でしている弓道での出来事である。人前で話すのは苦手意識があるが、年齢や協会理事の立場、経験年数から、弓道の市民大会で司会をしないといけなくなった。弓道だから氷河期は関係ないのだが、なぜかうちの弓道協会は全体で50人くらいなのだが、60歳以上は23人いるのに、50代は私と協会長の2人しかいない。40代は10人くらいいるのだが、初心者教室から上がってきた方たちと、子育てが一段落して最近弓道に復帰された方ばかりなので頼めない。また60歳以上は仕事をしなくてよいという慣例があり、会長は会長挨拶があるため、大会司会は必然的に私に回ってきた。試合の打ち合わせで会長に「吉本さん司会お願い」と頼まれた。会長とはかれこれ30年一緒に弓を引いてきている。私がどもるのを知っているはずなのだが、あまり気にしていないようだった。どもっても大丈夫と思ってくれているのだと嬉しかった。
実は、今の職場に転勤してきたとき、皆に知っておいてもらおうと思って自己紹介で「どもりがあるから、出にくい言葉もありますが気にしないでください」と言ったら、それからしばらく「吉本さんには電話をとらせてはいけない」となったことがあった。「どもるかもしれませんが電話とれます、大丈夫です」と何度も説明しなければならなかった。
司会は立ってできるので、出にくい音のときは踵でリズムをとれるし、お謡いで鍛えているので大きな声も出せる。大会の開会式では、ゆっくり大きな声で司会ができた。うちの道場はそんなに大きくないので、マイクの設備はない。70人くらい集まった試合だったので、後方まで声をとどけるためには、大きな声をださないといけない。ちょっとどもった言葉もあるがそんなにひどくはなかったと思った。「意外と大きな声でるんですね」と若い子に驚かれた。「よしっ」と思ったのだが、こういうときは大抵落とし穴が待っているものだ。それは、試合が終わり閉会式の前に表彰式にあった。呼名でどもった。普段タ行とオの音でどもりやすので、そこは注意していたのだが、普段どもることのない「やまざき」の「や」がでなかった。「やっやっやまっ…やまざき」がとなったのがいけなかったのだろうか。試合が終わった日の夜ラインで会長から今日の大会の反省点とともに「司会は次回Sさん(40代)にしてもらいます」ときた。ちょっとショックだった。私にしてもどうしても司会をしたいわけではない。他に人がいなかったからしただけだ。「じゃあ司会のカンペきちんと作って渡しておきますね」とラインを返した。
あとから噂で聞いたが、60代のNさんから「あんなのに司会やらすな」という声があったらしい。そして、理解してくれていると思った会長もかばってはくれなかったらしい。どもることは「あんなの」になるんだとちょっと落ち込んだ。大阪吃音教室では「どもっても大丈夫」と何度も聞いてきたが、世間では吃音はまだまだ「ダメなこと」なのか。
話は変わるが、勤め先の学校で、吃音の生徒の配慮のことで問題になったことがあった。そのどもる生徒の親の希望で「授業中その子には音読はさせない、手を挙げても当てない、順番で当てるときはその子が当たらないような順番でする」ということになった。
配慮……私は配慮されたいわけではないし、配慮で外されるわけではない。私は「あんなの」だから外されるのだ。配慮も「あんなの」も結局一緒じゃんと、しばらく堂々巡りをしたのだが、まあいいかとなった。試合があれば、記録付け、賞状準備、会計など裏方の責任者として仕事をしている。仕事が免除の60代も見えてきている。40代の方たちも最近他の県大会に積極的に参加するようになり、育ってきている。私は試合がうまく回ればそれでいいのだ。来月は秋季大会があるから、大会準備として、道場の予約、イベント保険申請、賞品と表彰状の用意、試合当日は、記録、順位付け、表彰状作成など、裏方でもしなければならないことはたくさんある。全体を見て動かなければならない立場は変わらない。
これからも、どもるがゆえの小さな事件はたくさん起こるのだろう。そのたびにかっとなったり腹を立てたりしながらも、全体を俯瞰してみて、何が大事かを見極め、問題点をユーモアでくるみながら気持ちに修正を加え、そこそこ機嫌よく生きていくのだろう。それでいいのだ。
【作者感想】
「ことば文学賞」優秀賞ありがとうございます。昔は少しどもるだけで、落ち込んでいましたが、大阪吃音教室に参加し始めてから「どもっても大丈夫」と思えるようになり、自分のどもりを気にしなくなっていました。だから、今回「あんなの」と言われたのは、ショックでした。以前、職場の放送でどもったときに「どもるんだから代わってもらったら」と言われたことも思い出し、しばらく負のスパイラルに陥っていました。一旦はそこから脱出したのですが、残っていたもやもやを、「新・吃音ショートコース」で伊藤さんと話したとき、どこかで「話すことぐらいできて当然」と思っていたことに気がつき、そのとき、こだわっていたことを手放せて気持ちが軽くなりました。話すということは簡単なことではないのを改めて思い出しました。また、伊藤さんに「たとえ他の人に言われたとしても、最後は自分で決断する」と言われて楽になりました。
これからも、どもることで、周りから嫌なことを言われることはあるのでしょうが、きちんとサバイバルしていきたいです。
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2025年度 審査員特別賞
芽 生 え
安原 栄子(やすはら えいこ)
「どもっていてはソーシャルワーカーになれない」。大学3回生の私は明るい将来を思い描けなかった。
きっかけは音読だった。秋の現場実習に向けて配属されたゼミでは、実習施設の知識を深めるため、大学独自の実習要項を音読する時間があった。その時スラスラと水が流れるように音読しているゼミ生がなぜかかっこよく目に映った。自分の番になり音読でどもったのは小学生の頃なのでもうどもらないだろうと思い読み始めたが、文章の最初の音でどもって言葉が進まず無言の時間が生まれた。時間にしてみれば一瞬の間だったが、ゼミ生が自分のほうを見ていると思うと気持ちが焦り長い時間に思えた。その時、私は記憶の中で小学生に戻り、どもることで他の人が難なくできることが自分にできない恥ずかしい気持ちがよみがえった。その後の音読でもどもることがあり、私はゼミの先生に吃音に対する不安を打ち明けた。すると先生は「心理士に相談してみてはどうか、知り合いの心理士を紹介できるよ」とアドバイスをしてくれた。しかし心理士に相談する勇気もなく、結局心理士には相談しなかった。心配していた実習ではどもることを考える余裕がないくらいその日の実習に向き合う日々だったため吃音で困った記憶はない。だが、実習が終わっても自分がどもりであるという恥ずかしさが心の中で引っかかっていた。
大学4回生になる春休み、資格取得に必要な科目のオリエンテーションに参加した。同じ科目が週に複数開講されるため、希望する講師を選ぶ必要があると説明された。一通り講師の専門領域を聞き第一志望を用紙に書こうとしたが、その時間にはすでに他の必修科目が入っており選択肢が一気になくなってしまった。少ない情報で講師を選ぶのはもったいないと思い、家に用紙を持ち帰り講師の名前をパソコン検索することにした。その中でただ一人「この先生なら何かヒントがもらえるかもしれない」と直感した先生を見つけた。それが伊藤さんだった。伊藤さんの紹介文に「吃音」という文字が入っていたのが決め手だった。
授業の初日、伊藤さんはどもっていた。紹介文に「吃音」というキーワードが載っているのでどもる人であるということは自分でもわかっていたはずだったが、伊藤さんの目を見て講義を受けられなかった。それどころか伊藤さんがどもるとまるで自分がその場でどもっているかのように恥ずかしく思えた。それからも毎週伊藤さんはどもっていた。私は伊藤さんがどもっている姿を見るのが嫌で無意識に視線を机に移し講義を受ける。そんな時間が何週か続いた。
そんなある日の講義で、ふと「伊藤さんのどもっている姿をよくないこと、恥ずかしいこと捉えるということは、回り回ってどもる自分も否定していることになるのではないか」、「年齢や経験してきたことは違うがどもる仲間として見たときに同じどもる自分が否定するのはものすごく失礼なことではないか」。そう思った瞬間、平気でどもりながら講義をしている伊藤さんが急にかっこよく見え、伊藤さんの目を見て顔をあげて講義を受けたいと考えが変わった。それから意識して伊藤さんの目を見て講義を受けているうちに、伊藤さんがどもっていても自分がどもっているような感覚や恥ずかしさは少なくなっていった。その後、卒業研究のテーマに吃音を選び、研究のヒントを得たいと吃音講習会に参加したことで、大学4回生の後半は吃音そのものや自身と吃音との向き合いについて考える時間を多く持つことができた。いつしか「どもっていてはソーシャルワーカーになれない」と思うことはなくなった。その頃には今まで自分の体の中に居場所のなかった吃音が「ここに居てもよい」と思えるスペースを見つけ、そこから自身に染み込んでいく感覚になっていた。
後日談がある。伊藤さんの講義が全て終わった後の夏に1か月の実習に臨んだ。私はある日の実習である患者さんに負担をかけ、職員の方にも迷惑をかけてしまった。その日の反省会で実習担当者から「周囲に対する立ち居振る舞いが配慮に欠けている」と指摘を受け、自分の考えを伝える言葉が出てこなかった。今思えばこの失敗は社会経験のなさもあったと思うが、その頃の私は「物事をわきまえているいい子」として周囲に振舞っていると思っていた。理想の自分を周囲に見せようとしていただけで、本当の自分自身は自分が一番なりたくない姿だったと思い知らされた。
反省会の中で自分の考えに自信がなく相手の顔色や視線をやけに気にしている自分がいることに気付いた。なぜ顔色、視線に対しそんなにも恐怖を感じるのか。もしかしたらそういう場面に何度も遭遇しているのかもしれないという感覚になった。その日の帰りに反省会でのことを頭の中で巡らせていると、ふと自分自身がどもった時のことを思い出した。どもることで笑われるだろうか、みんなの目が変わらないだろうかとびくびくしている自分、自分のどもる姿を見られたくないと頑なに思っていた自分。自分の嫌な部分から自分を守る反応はどもる自分を見たくない反応と同じだった。そのことに気づいた時、今まで自分の見たくない姿と向き合ってこなかったことに対して更にがっかりする自分ではなく、「私はずっと吃音から逃げていたのか」と肩の力が抜け、すんなり納得できた自分がいた。
あれから10数年経った。なぜあの時これまでの自分にがっかりしなかったのか不思議に思っていたのだが、最近この話をした際にある人から「首尾一貫感覚の『把握可能感』『処理可能感』が備わっていたからではないか」と言われた。伊藤さんとの出会いや卒業研究を進めていく過程での出会いで吃音が悪いものではないことやどもることを悲観的に思う人ばかりではない知り、どもる自分でも思い描いている理想の自分でないかもしれない私でもこの先何とかやっていける気がすると思ったからではないか。10数年ぶりの答え合わせをしたような気持ちだった。
これまで私は相手に良く思われたいという気持ちが人一倍強かったのだと思う。小学生の頃にどもる姿を真似され笑われることが何度もある中で、どもる自分は普通ではないと思うようになった。普通ではない自分でいることが嫌で自分の容姿を含め自分の姿を直視することが出来なかった。いつしか「相手から見て嫌な自分になっていないか」という基準を自分で作り上げ、その基準をもとに生きてきた。しかし、伊藤さんとの出会いや4回生の実習の出来事を通し、どもる自分も臨機応変に振舞えていない自分もどこか遠くにある存在ではなくまぎれもない自分自身の一部であると思えるようになった。大学4回生の出来事は一つの転換点であり、10数年後にどもる人として生きている自分自身の在り方に影響を与えている。
以前伊藤さんが講習会か何かで「僕ができることは種を蒔くことだけだ」と言われていたことがあった。種から芽を出すには土壌や日光、水といった環境も欠かせない。あの1年間はどもること自体の捉え方が変わり、今までの自分にはなかった考えを持つ人との出会いから新たな刺激を受けた。そこから吃音を受け止められる土壌が作られ、出会いから生まれる言葉が水や日光となり、伊藤さんの蒔いた種が自分の中で芽を出したのだ。最近は生活のリズムが変わったこともありなかなか土壌作りが進んでいないが、その芽は今も日光や水を浴びながら成長している。それでもまだ自分の中にある芽が出ていない種もあると思う。これからの自分自身の変化や出会いでどのように芽生えるのか、今から楽しみだ。
【作者感想】
審査員特別賞を頂き、ありがとうございます。
5年前に応募してから書ける事柄はもう書き切ったと思っていました。一方でその前後に「伊藤さんとの出会いを詳しく知りたい」と言われたことが度々あり、その中で9年前に応募した作品の原点を探ろうとしたのが今回の作品です。
伊藤さんと出会う前は自分が何者なのか表す言葉がありませんでしたが、大学4回生の1年間がきっかけとなり自分を表す言葉を拾うアンテナの範囲が少しずつ広がっていった気がします。作品には書き切れませんでしたが、当時「ピンク色は派手な人が好きな色だ」と思い込んでいた地味な私がピンク色をした文房具を誰よりも多く持っていると周囲から言われたことでその矛盾に気づき、自分はピンク色が好きだと認め公言できるようになりました。ここから始まった吃音の縁を大切にしながら、時間をかけてこれからも自分の言葉を新たに紡いでいけたら良いなと思います。
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