ことば文学賞 2017年度


最優秀賞 サバイバル・イン・マイ・ライフ 井川 藍  
 

 就職して一カ月の頃思ったこと。それは「すらすら話せなくてつらい」や「どもることを変に思われてつらい」といった気持ちではなかった。「私はなんて自分のことしか考えてこなかったんだろう」。仕事をしてお給料をもらうことがいかに大変か、自分がいかに甘えた心を持って過ごしてきたか、ずっしりと打ちのめされていた。
 これは、私が仕事で認められるまでのストーリーである。・・・

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優秀賞 人生は不公平 丹 佳子  
 

 今の仕事に決まったとき、友達は「そんな仕事でいいの?」と言った。母は「院まで出したのに」と言った。私は「しょうがないじゃん」とだけ言った。30歳を超えたところだったが、結婚して養ってくれるような人がいるわけではない。女ひとりとりあえず仕事しないと生きられない。前の会社にはリストラされたので、とにかく安定しているところがいい。学歴はあるけど、特別な資格はない。おまけに、どもりだ。事務職でうまく電話番ができるわけではない。そんな私がなんとか面接を突破して就いた仕事、それは学校の用務員さんだ。・・・

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優秀賞 笑顔が、僕の持ち味 奥野 祐司  
 

 国語の本読みの時間が一番嫌いだった。本読みの順番が近づいてくると、ドキドキが止まらない。昨日練習したのに、いざ本番となるとなかなか言葉が出てこない。・・・自分の名前や、返事や、何かを尋ねられて即答できない私が、社会人として、仕事について生きていけるだろうか、不安だった。
 21歳の時に、転機がやってきた。・・・

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2017年度 最優秀賞

サバイバル・イン・マイ・ライフ

井川 藍

 就職して一カ月の頃思ったこと。それは「すらすら話せなくてつらい」や「どもることを変に思われてつらい」といった気持ちではなかった。「私はなんて自分のことしか考えてこなかったんだろう」。仕事をしてお給料をもらうことがいかに大変か、自分がいかに甘えた心を持って過ごしてきたか、ずっしりと打ちのめされていた。
 これは、私が仕事で認められるまでのストーリーである。

 就職したIT会社は、学生のとき19日間のインターンシップで課題に対する能力や姿勢を見てくれ、発表時に私がひどくどもっても中身を評価してくれた会社だ。この会社の入社研修はとても厳しかった。研修課題は自作のプログラムを提出し合格することを条件に始まった。与えられたものは、課題が書かれた資料と外部ネットワーク接続不可のパソコンのみ。講師への質問不可、研修者同士の教え合い不可。たった一人で合格しなければならなかった。
 日が経つにつれ、まわりはどんどん合格して第二、第三の課題に進んでいく中、私は一カ月経ってもいまだ第一の課題を提出できるレベルに到達できないでいた。
 課題を提出できない。研修に合格できない。すなわち私は仕事ができない。自分の吃音のことだけを心配して、それだけで頭がいっぱいだった入社前の私が恥ずかしい。どんどん心が暗くなり、追い詰められていく。どこか高いところから飛び降りてしまいたい。吃音以外のことで初めて死を考えた。
 隣の席の研修生が退職した。彼女も私と同じく第一の課題を提出できていないうちの一人だった。私は辞めたくない。もう逃げたくない。あんなに吃音で苦労した就職活動をもう一度やるなんて絶対に嫌だ。私は死にたいのではなく、生きて、社会で活躍したいんだ。
 時間はかかったが、全ての課題に合格することができた。そして開発部門に配属された。
 配属先の自己紹介では吃音のことは言わなかった。入社前は「最初の自己紹介で吃音のことを言わなかったらいつ言うんだ。自己紹介は絶好のチャンスだ」と思っていた。しかし言わなかった。差別を恐れて隠そうとしたわけではなく、能力を平等に見てくれるこの厳しい会社で、吃音のことを言うのはどこかずるいような、大目に見てほしいという甘えがあるような、自分だけ特別待遇をお願いしているような気がした。だから言わない選択肢を選んだのだ。
 私が開発担当になった機能はトラブルが多く、社内の問い合わせが多かった。電話がかかってきても、どもってうまく話せない。私は過去の問い合わせを洗い出し、整理し、社内サイトにまとめた。Q&Aも大量に作成した。私に電話をかけなくとも、それらを見れば解決できるようにした。問い合わせが段々減って行った。この取り組みが評価された。 そのうち開発職よりも問い合わせを解決していくことにやりがいを感じ、新しくできた問い合わせ対応専門チームに志願した。社外のお客様からの問い合わせを直接受けるチームだ。今までのような製品の中の一部の機能だけでなく、製品全体について、自分でプログラムを読んだり開発担当に聞いたりして問い合わせを解決していく。お客様と電話で対応するチームであれば志願していなかったが、有り難いことにメールのみでやり取りを行うチームであった。

 開発職のとき、「人を巻き込むのが下手だ」と言われていた。吃音があるから人と話すのは怖い。しかしこの問い合わせ対応チームの仕事ではそんなことを言っていられなかった。15分で解決しなければならないこともある。話すことへの怖さはありながらも、どんどん質問しに行った。電話では自分の名前が言えないが、対面では知り合いには名乗らなくていいし、初めての人には社員証を見せればいい。急いでいても、電話したくないがゆえに別の階まで階段をダッシュするなど社内を走り回った。人を巻き込めるようになったことと、情報を文章にして整理し残したりQ&Aを作成したりする習慣ができていたので、私の問い合わせ解決数はチーム内で一番になった。
 あるとき、お客様先を訪問した社員から、お客様が私の問い合わせ対応について「この人はすごいね」と褒めてくださっていたと聞いた。すると、他の社員からも次々にお客様の褒め言葉を伝えてくれた。顔も合わせたことのない、文章だけでやりとりしていた私への褒め言葉。なんとも嬉しかった。
 吃音のことはずっと隠していたわけではなかった。私がどもって話すのに時間がかかると相手の時間を使ってしまうことは事実であるし、電話でどもっていると電話や電波の調子が悪いという誤解を与えてしまい、余計な修理やアンテナ工事等が発生してしまう恐れもある。だから、仕事をするうえで吃音者であることは隠していていいものではないと気付いた。ただ、吃音者であることを人前で自分の口から伝えるのは勇気がいる。それに全員に言って回ることはできないので、社内の連絡先検索サイトのプロフィールに「吃音という言語障害持ちです」と書いておいた。書いておくことで自分の気持ちも楽だった。このプロフィールを見て私が吃音者であることを知った人は多いが、誰一人吃音を馬鹿にしたり差別したりしなかった。苦手な電話が減ってメールでの問い合わせが増えてほしいという希望も少し込めていたが、変わらず電話がかかってきたので、吃音を気にしていない人が多いことが複雑だが嬉しかった。

 就職して8年が経ち、結婚・妊娠して産休に入る際にチームメンバーが送別会を開いてくれた。参加者は数人だと聞いていたが、サプライズで40人近く来てくれた。私はどもって言えない言葉がたくさんあるので飲み会や送別会には基本的に参加しないし、社内に友達は一人もいない。そんな私のためにこんなにも人が集まってくれたのだ。もらった色紙には、「あなたがいたから問い合わせ対応チームが成功した」、「あなたが書いたQ&Aや整理された情報に何度も助けられた」、「あなたの仕事に対する姿勢に多くの人が影響を受けていた」、「あなたの活躍はレジェンドだと思う」など、私の仕事ぶりについて先輩・後輩両方から「尊敬」「感心」「感謝」の言葉がたくさん書かれていた。
 仕事という全く新しい環境で、最初は吃音のことで頭がいっぱいだった私は、自分を恥じ、仕事において本当に悩まなければならないことを第一に考えるようになった。そのうえで吃音者である自分はどうすればいいのかを考えた。本当に悩むべきことは吃音じゃない。けれども吃音を持ってサバイバルしていかなければならない。「吃音があったからこういうことができた」とか「吃音があってよかった」のように、吃音を肯定することはできないけれど、吃音者として人生を生き延び、生き抜きたくて行ったことが、結果的に評価されたり感謝されたりした。活躍したかった私は、ちゃんと活躍できた。

 子供が産まれ、これからは私の書き言葉ではなく、私の話す言葉で子供を育てていかなければならない。この先、言葉を話すことが普通とされている場面がどんどん出てくるだろう。しかし、きっと頭をフル回転させて別の方法がないか考えるだろうし、伝えなければならないことはどもってでも伝えるだろう。一番は子供のことなのだから。

【選者講評】
 「あきらめる治す努力はしないけど、より良く生きる努力する」という、どもりカルタの読み札がある。この作品を読んで、まさにその読み札のとおりの生き方だと思った。「吃音を治す努力の否定」は、努力を否定する、なまけもののすすめではない。吃音を治す努力より、人としての生きる努力にこそ、目を向け、努力しようというものであり、努力のエネルギーを、仕事や生きる楽しみにこそ使おうとの提案だった。それを具体的に示してくれている。
 社内の問い合わせが多いが、どもってうまく話せない。そのとき、どうするか。井川さんは、過去の問い合わせを洗い出し、整理し、社内サイトにまとめ、Q&Aを大量に作成し、どもってうまく話せないという自分の弱点をカバーした。これが私たちが使うサバイバルだ。産休に入るときの送別会で作者に送られた賛辞にも、作者はまだ「吃音があったからこういうことができた」「吃音があってよかった」のように吃音を肯定することはできないと言っている。肯定できなくても、どもっている自分を認め、その自分のまま生き抜いている。その姿は清々しい。
 最後の4行に、今後、書き言葉ではなく、話す言葉を求められる場面が多くなるだろうが、そこでもきっと生き抜いていくだろう作者のしなやかな強さを感じる。
 就活や面接で悩んでいる人、就職してからさまざまな困難な中にいる人に、ぜひ読んでもらいたい。自分にとってのより良い環境を求め願うだけでなく、本来努力しなければならないのは、ここだということを伝えたい。

【作者感想】
 学生のとき大阪吃音教室に通っていた木村藍です。最優秀賞、ありがとうございます。受賞のお知らせを受けたときは驚きと嬉しさのあまり手が震えました。
 この応募作は2008年度の優秀賞に選んでいただいた、就職活動の話を書いた「世界を変えるためには」の続きになっています。以降応募できていなかったのですが、産休に入り自分の社会人生活を振り返る時間ができたので応募しました。
 私が活躍できたのは、悩み続けていた学生時代、大阪吃音教室に通い、吃音をマイナスでもプラスでもない「ゼロの地点」に立って考えられるようになったこと、そしていろんな人の吃音サバイバル術を学べたおかげだと思います。
 受賞、本当に嬉しいです。ありがとうございました。

2017年度受賞全作品ページ

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2017年度 優秀賞

人生は不公平

丹 佳子

 今の仕事に決まったとき、友達は「そんな仕事でいいの?」と言った。母は「院まで出したのに」と言った。私は「しょうがないじゃん」とだけ言った。30歳を超えたところだったが、結婚して養ってくれるような人がいるわけではない。女ひとりとりあえず仕事しないと生きられない。前の会社にはリストラされたので、とにかく安定しているところがいい。学歴はあるけど、特別な資格はない。おまけに、どもりだ。事務職でうまく電話番ができるわけではない。そんな私がなんとか面接を突破して就いた仕事、それは学校の用務員さんだ。
 一応公務員、一応正規職員なので、給料は安いにせよ、リストラされることはない。とりあえず電話には出なくていい。前の会社では電話でどもりがひどくて、スムーズに取り次ぎができず、何度も恥ずかしい思いをした。また、こちらから電話したときは会社名が出ず、いたずら電話と勘違いされたこともあり電話はすごく嫌だった。
 それでも、ストレスはあった。責任がない分やりがいがあるわけではない。周りの人が忙しくしているけど、先生の資格がないので手伝えることは限られている。仕事時間が終わって帰ろうとすると、「いいわねえ、時間で帰れる人は」と言われたこともある。前の会社では残業が多く帰るのは夜10時が当たり前の生活をしていて、パートのおばちゃんたちに「よくがんばるわね、大変ね」と言われる側だっただけに、そして、家事をするより仕事をする方がエライと思っていただけに、いきなり時間に余裕のある生活になったことになかなか慣れなかった。もし、仕事をバリバリするというのがなくなったけど、ここで、誰かに出会って結婚・出産なら、まだいい人生だと言い訳できたかもしれない。妊婦もお母さんもエライのだ。「負け犬」という言葉が流行した時期だった。私は、キャリアもない、結婚もしてない、子どももいない、完全に「負け犬」の人生であった。
 行き詰ったときに必ず思うのが「どもりじゃなければ」だった。「どもりじゃなければ」本当は行きたかった語学の方に進学して留学もできた、「どもりじゃなければ」大学を卒業したとき地元の公務員の上級採用の面接にも受かった、「どもりじゃなければ」もっといい人生だったはずだ…。この時期に小学校の支援学級に関わられている方から、大阪の吃音教室を紹介してもらった。たまたますぐに夏の大きな会があったのでそれに参加して、そこで聞いたこと知ったことに感動してそのまま日本吃音臨床研究会に入会した。「自分と同じように、普段はそんなにどもらないのに、電話や人前で話すときにひどくどもる人がいる」ということがわかったことはうれしかった。そうして、吃音を受け入れたつもりだったが、何か落ち込むことがあると、「どもりじゃなければ」は亡霊みたいに何度でもよみがえってきた。
 人生が不公平というのは小さいころからわかっていた。スタイル、容姿、頭、運動神経、生まれつきいいものを持っている人は持っている。「天は二物を与えない」なんて嘘だ。見た目もよくて、頭もよくて、運動神経もいい人はいる。それでも、努力でなんとかできることはなんとかしてきた。スタイルはダイエットや栄養の勉強をして、そこそこに保った。友達の中には、一回教科書でも資料でも読めばそれらを全部暗記できるという子がいたが、それは私には無理なので、何回も何回も読んだり書いたりして覚えた。(容姿と運動神経は初めからあきらめていたので、特に何とかしようとは思わなかった。)どもりになってからしばらくは、どもらず本を読もうと家で何回も本読みの練習もした。でも、だめだった。家でうまくできても、教室ではどもった。どもって皆に笑われた。そんなことが重なっていって、「どもりは努力ではどうにもならないのだ」=「努力してもどうしようもないことがある」というのを悟った。今わかる私の間違いは、「努力ではどうにもならない」を「だから努力しなくてもいい」ととらえたことだった。これまでの「ことば文学賞」や最近のスタタリングナウを読んでいると、どもりだけれども販売員の仕事にチャレンジした、海外留学をした、先生になろうと思って実際なった、という体験が書かれているものがあるが、よくそんなことができたなあ、と思う。私はどもりを言い訳に、人前でしゃべるようなことからは全て逃げた。また、「どもりだから不幸だ」は「だから人のためになるようなことはわざわざ気をきかせてしなくてもいい。そんなことは幸せな人間がすればいい。私はしなくてもいい。だって私は不幸なんだから」というマイナスのスパイラルの中にもいた。悪い方へ悪い方へ人生が回っていた。
 逃げてたどり着いた先は、わくわくすることも周りからすごいと言われたりうらやましがられたりすることはない平穏な日々だった。用務員の仕事は、掃除、花の手入れ、印刷の手伝い、お茶くみなど単純作業のルーティーンだ。何かをやりとげたと評価してもらえるような仕事ではない。効率をよくするために少し工夫することはあるが、勉強して新しいアイデアを出して画期的なことをする必要はない。ときどきは前にしていた設計の仕事を生かして修繕をしたのが喜ばれたり、はみだしたような子供に関われて楽しいと思ったりするときもある。しかし、新しいことはしなくてもいいけれども、できていて当然のことを毎日きっちりするのは、結構大変だ。周りの人は、私はすぐこの仕事に飽きて辞めると思っていたようだが、そんなこともなく結局15年務めている。辞めても後がないというのもあるが、あまりドキドキしないで、人のサポートをするという仕事が向いているのかもしれない。前の仕事では自分の設計の図面のミスのため、組み立ての部署の人に図面を投げつけられたことがあって、辞めることになるころはかなり神経質になっていた。今の仕事になって、パソコンに向かうというおしゃれな仕事ではなくなったが、また大きな失敗をしているんじゃないかというビクビク感からは解放された。また、残業がなくなった分給料は減ったが、夕方からは自分の時間がとれるので、昔あきらめた英会話や他の外国語の勉強ができるようになった。英会話ではアメリカ人の友達もできて、一緒に海外旅行に行ったり、英語でのパフォーマンスにチャレンジをしたりもした。まだ英語でどもったときの対処はうまくできないけれど、どもっても会話が続くので、会話というのは何かを正しく話すだけで成立するものではないのだと改めて考えた。相手の表情、相手を理解したいという気持ち、言葉にならないときは相手のいうことを聞いて寄り添うだけでいいときもあること、「言葉はいつも思いを超えない」こと…語学を勉強しながら、そういうことも考えるのは楽しい。
 日本吃音臨床研究会に出会って、ショートコースに参加して、「建設的な生き方」やトランスパーソナル心理学、交流分析、アドラー心理学などを学び、人生を建て直していた中で、個人的におもしろいことが起こった。遠い町から新しい管理職の先生がやって来られたときのことだ。それまでは、職員室の先生が出払うときは電話番を任せてもらえていたのに、その管理職の先生は空き時間の先生を呼んで留守番を頼むようになった。電話に対してはまだ苦手意識はある。今の学校名も言いにくい。それでもなんとかできるのに…。仕事が減ってよかったと割り切ろうと思っているうちに、それまで任せてもらえていた仕事も「それは用務員の仕事じゃない」と、だんだん任せてもらえなくなり、なんとなく干されている気分になることが多くなっていった。そんなとき、その先生と同じ町で仕事をしたことのある先生に、「あの町の用務員はあなたほどの仕事はしてないよ」と言われて、「ああ、それで私にはいろいろ仕事を頼んでこなかったのか」と理由がわかって少しすっきりした。それで、電話番を他の先生に頼んでいるときに「私も電話番できますよ」と言ったら、「でも電話は二つあるから二つ鳴った時困るでしょ」と軽く言われた。それがもう一人に頼んでいた理由だったのか。おかしなもので、15年前は電話なんか絶対嫌だったのが、ここにきて「やりたい」になったのだ。人生わからないものである。
 わからないといえば、いい年ではあるが、結婚することになった。婚活で知り合った人だ。お互い第一印象がよかったらしく、すぐお付き合いすることになった。最初からこの人には何でも言っていいという不思議な安心感のある人で、3回目のデートのときに、私にはどもりがあると話した。相方は「全然気にならなかった」とか「僕は髪がうすい」とかそういうことを言ったように思う。相方も私には話をしやすいと言ってくれている。日本吃音臨床研究会、竹内レッスンを経て、私もちょっとはアサーティヴに、ちょっとは息の詰まっていない「からだ」に、そしてちょっとは誰かの心によりそえる人間になれている…はず…このタイミングで出会ってよかったのだ。
 余談だが、私は、30歳後半から婚活をしていたので、合計200回以上は婚活パーティに参加したが、相方はそのときが婚活パーティ初参加だった。人生は不公平だ。まあいいや。どうであれ、愛しのダーリンに出会えたのだから。

【選者講評】
 人間は皆公平だというのは、真実ではないと知ったのはいつの頃だろう。容姿、体型、能力、経済状況、生まれ育った環境、考えれば、生まれたときから、全て不公平だ。不公平の中で、それなりに折り合いをつけていくことが生きていくということなのだろう。作者は、不公平というキーワードを一貫して用いながら、これまでの人生を振り返っている。不公平な中で行き着いたのは、わくわくしないけれども、安定した平穏な仕事。そんな中で、電話をとることに関しての気持ちの変化がおもしろい。そして、最後にびっくりするようなできごとが待っていた。婚活パーティの参加回数は不公平でも、出会いのチャンスは公平にあった。幸せの王子様は、ようやく今、作者の前に現れた。人生は不公平、でも、生きることは楽しく、幸せなことだとしみじみ思わせてくれる作品だ。

【作者感想】
 優秀賞ありがとうございます。「ことば文学賞」の発表の場で溝口さんが素敵な声で朗読をしてくださったあと、皆に感想を聞いていく中に「『どもりでなければ』の愚痴が多すぎる」というものがあり、私も自分で聞いていてそうだと思いました。今思うのは、どもりだったから今の仕事にしか就けなかった訳ではなく、仕事において日々大きなプレッシャーに耐えることができないから、どもりでなくても今のような仕事をしていたということです。家に恵まれていたので、大学もその上も出してもらったのに、いいところには就職できなく、かといってまた何かにチャレンジする勇気もなく、ずっとぐだぐだ思ってきましたが、今回の文章を書いたことで、また結婚をして自分の家庭を守らないといけない環境になったことで、少し人生に折り合いをつけることができました。苦労人のダーリンはやさしい人です。吃音教室で学んだことを生かしながら、幸せになりたいと思います。

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2017年度 優秀賞

笑顔が、僕の持ち味

奥野 祐司

 国語の本読みの時間が一番嫌いだった。本読みの順番が近づいてくると、ドキドキが止まらない。昨日練習したのに、いざ本番となるとなかなか言葉が出てこない。教室中からクスクス笑いや「早よ読めや」とからかわれた。小学校、中学校、高等学校と、クラスメートにどもる真似をされ、先生からも、からかわれたり、いじめを受けたこともあって、将来がすごく不安だった。自分の名前や、返事や、何かを尋ねられて即答できない私が、社会人として、仕事について生きていけるだろうか、不安だった。
 21歳の時に、転機がやってきた。関西に拠点をおくスーパー万代の面接の日だった。私はそれまで、面接で自己紹介をする時にひどくどもって、なかなか就職ができなかった。面接で合格することに自信はまったくなかったが、仕事をしたいとの思いは強くなっていた。今度もダメで元々と思い、心をふるい立たせて面接に臨んだ。「名前さえ言えたらなんとかなる、大丈夫だ」と自分に言い聞かせ、扉をノックした。面接官が3人いて、
「では、自己紹介をどうぞ」
と言われて、僕はつばをのみ込んだ。
「お、お、お、おくのゆうじと申します。よろしくお願いします」
 やはりかなりどもったが、何とか名前が言えた。そして、一所懸命考えてきた、仕事がしたいとの私の思いを、どもりながら伝えた。たが、また今度もダメだと思っていた。
「どもっているけれど、熱意と誠実さが伝わってきました。何日か働けますか?」
 面接官からにこやかに言われ、僕はとっさに、今度はあまりどもらずに大きな声で言った。
「いつでも大丈夫です。吃音がありますが、よろしくお願いします」
 面接会場から出ると、自然とガッッポーズが出た。
 思いがけずに合格したものの、いざ働くとなると、不安がいっぱいだった。どもることをからかわれたり、いじめられた経験から、まず仕事場での人間関係が不安だった。さらに、接客がうまくできるだろうか。不安と期待いっぱいで、当日を迎えた。職場に着くと、店長が面接官の一人だった。この人となら、なんとかなるかも知れない。運命を感じた。
 店長は、「うまいこと無理に接客しなくていいから、奥野君には太陽のような人を幸せにする笑顔があるから、スマイルを心掛けてくれたらいいよ。調子のいい時に接客をやってくれたらいいから」と言ってくれた。私には神様のように思えた。僕はこの店で一生がんばるぞ、と思った。
 開店前、駐輪場を同僚の徳永さんと掃除しながら、私の吃音の話をした。徳永さんは、
「奥野君はどもりがあるんやなあ。喋りにくいときや困ったときは、紙に書いて見せてくれたらいいよ。僕が代わりに言ってあげるから、安心していいよ」
と言ってくれた。
 このようなことばをかけてもらえたのは初めてだ。僕は嬉しくて心の中で泣いた。その時、徳永さんにありがとう助かるわと伝えたかったが、とっさには言えなかった。徳永さんは僕の気持ちが分かったかのように、「お礼はいいから」と言ってくれた。一番心配していた仕事場での人間関係。徳永さんがいてくれる仕事場、私は頑張れると思った。
 慌ただしい初日をなんとか切り抜けての帰りぎわ、店長が「お疲れさん。君やとってよかったよ」と言ってくれた。仕事の疲れもふっとんで、幸せな気分になった。
 だんだんと仕事にも慣れ、接客用語もどもりながら笑顔でカバーして、とても楽しい日々を送っていた。たまにお客様から、「ありがとうも言えんのか」と叱られ、つらい思いをした日もあった。そんな日も、店長や徳永さんが「気にしなくていいよ。スマイル、スマイル」と、落ち込んだ僕を激励してくれた。
 入社して4ヶ月くらいたった時、店長から話があり、「いつも本当によくやってくれて助かっているよ。今日は本社の人が来て、君と話がしたいと言っているよ」と言われた。叱られるのではないと分かっていたが、いつも叱られてきた私には不安だった。本社の人は、笑顔で「うん、君の笑顔は最高だねえ。いつもありがとう。これからは君のファンがいっぱいできると思うよ」と言われた。幸せな気分がからだに広がった。
 ある日、いつものように自転車整理をしていると、お客様が「いつも本当にご苦労さん。私は兄ちゃんのファンやねん。いつもどもっているのに、笑顔で汗水たらして頑張っているから、私も元気をもらうわ」と声を掛けてくれた。その人が帰りに、「兄ちゃん暑いからジュースあげるわ。また兄ちゃんに会いに来るね」とまで言ってくれた。その後、いろいろなお客様から、「ご苦労様、兄ちゃん好きや」とねぎらいの言葉をもらったり、缶コーヒーやお菓子などをもらったこともあった。
 「孫がはぐれて、どこにいるか困ってる」と言ってきたおばあちゃんの孫を店の近くの公園で見つけたり、くさりが外れた犬に追い掛けられていたのを、犬が苦手だった私が、追い払ったり、スーパーの日常は様々なことが起こった。ひとつひとつを自分なりにこなしている内に、店に通ってくる人たちとかなり顔見知りが増えてきた。
 その中で、一番うれしかったことがある。
「兄ちゃんは評判いいよ。兄ちゃんどもるんやね。実は私の娘もどもるねん。兄ちゃんのこと娘に話したら、ぜひ兄ちゃんに会ってみたいと言っているの。兄ちゃんがどもっても頑張っている姿をみて、娘が勇気をもらえたらと思って」
 それから数日後、本当にその人がかわいい女の子をつれて来てくれた。その子が、「これあげる」とハイチュウをくれた。子どもであっても、若い女性から何かをもらった初めての経験だ。あくる日、僕がトイレに入っていると、「あの兄ちゃんいないなあ。あの兄ちゃん大好き。話も聞いてくれるし、勇気出るし」と、話し声が聞こえた。
 吃音でつらい事の方が多いけれど、どもりながらも頑張っていたら、人を勇気づけられることもあるんだと思い、吃音もいい事があるんだと思って、吃音でよかったと思った。スーパー万代の店は、2年で閉鎖した。一生働きたいと思っていた職場を私は失った。もうこんないい会社ないなあと思うと、店の閉鎖が残念で、閉鎖の話を聞いたときは涙が出てきた。あれから16年たつが、いまでも忘れられない2年間だった。
 またいつかそれに近い、素晴らしい出会いのある会社があるはずだと強く信じて、自分らしく、どもっても笑顔でいたいと思う。また、いい会社とめぐり会える事を、僕は信じている。

【選者講評】
 素直な文章である。作品の文章の中に、作者の名前があったので、作者の顔を思い浮かべながら、読むことができた。これだけの長い文章をよく思い出して書いたこと、書くことが苦手だと言う、普段の作者を知っているだけに、改めてこの体験が作者にとって、どれほど大事で、忘れられないものなのかが分かった。
 確かに、普段私たちと出会っているときの、作者の笑顔は、周りの者を和ませる。職場での人間関係については、彼はずいぶん悩んできた。つらいこともたくさんあっただろうに、にこにこ笑っている作者は、すてきだ。店長、同僚の徳永さん、お客さん、登場する人たちが皆、温かくやさしい。どもっているという表面的なことにとらわれず、作者の内面の誠実さや優しさを、しっかり見てくれている。読んでいて、仕事に対して真摯に向き合っていると、ちゃんとそれを見てくれる人がいる、この世の中、捨てたものじゃないという気がしてくる。

【作者感想】
 数多くの応募の中から優秀賞に選んで頂き、心から嬉しいです。受賞するとは夢にも思っていなかったので、知らせが届いたとき、信じられない思いと嬉しさで男泣きしました。家族や親戚も、よかったよかったと祝福してくれました。
 この作品は、大阪吃音教室の一分間スピーチの例会で、「吃音でよかったこと」のテーマで話したことを元に書きました。例会に参加した皆さんの反応がよく、東野さんからも「良い話だった」と「ことば文学賞」への応募をすすめられました。吃音でよかったと思える数少ない出来事を、振り返ることができてよかったです。これを機に、今後も体験を書くことに挑戦していきたいと思います。
 ありがとうございました。

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