どもりのマイナス面とプラス面
『治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方』感想文

橋本 貴子(20代 主婦)

 
『治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方』
 
 本を読んで印象に残ったのは第6章の「吃音はマイナス面のみか 吃音力の提唱」です。改めて吃音のマイナス面とプラス面を考えてみました。
 
 教室に参加する前まで、どもりはマイナスとしか考えられませんでした。
 就職に不利、会社でやっていけるか、結婚はできるのか、注文や探しているものが言いにくい言葉のものなら店員さんに聞けないなど「百害あって一利なし」と思っていました。
 ですが、今の私の気持ちは、私が考えていたマイナス面はマイナスと思わなくなりました。
 しかし、どもりたくない場面でどもるかもしれないなあと思っている時や、スーパーなどで探しているものが見つからないときそれが言いにくい言葉のものだったときは、吃りでなかったらなあと思う時もありますが、私はそれをマイナスとは思いません。
 
 なぜそう思うのかと言うと、どもりであっても「私は私のままでいい」という自己肯定ができたのと、本に書いてある『吃っていても未来は開かれているという視点、前提がある』ということが実感できているからだと思います。
 
 また、第6章の第5節(1)の「吃音は意味づけ、受け止め方の問題」の中で『吃っていても、吃音を否定せず、話すことから逃げない生活ができれば、吃音は大きな問題とはならない。吃音の問題を大きくするのは、吃る人の吃音に対する受けとめ方であるといっていい』と書いてあるように、吃音に対する受けとめ方が変わったからだと思います。(P.112)
 どもりで○○ができないのではなく、どもりは関係なく結局は自分が「やる」か「やらない」かだと思います。どもりのせいにするのではなく自分の問題であると思うのです。
 
 プラス面は本に『吃音に取り組まなければ出会えなかった書物や出来事、すばらしい多くの出会えた』と書いてあります。年齢、性別、職業に関わらずたくさんの人と出会えるのは、どもりでなかったらなかなか難しいことだと思うのです。
 また、「ことば文学賞」や感想文や『新生』の例会報告など文章を書く機会があります。どもりでなかったら日記くらいしか文章を書いていなかったように思います。それにどもりのことで文章を書くと過去を振り返ったり、しっかり自分の内面と向き合いことができるのも良い点だと思います。
 
 そして、片頭痛など他にも悩みを持つことがありますが、その時はどもりと同じでなぜ自分だけとか、大事な時に片頭痛になるんじゃないかという不安で片頭痛は治らないものかと治療法を探したりしていました。でもどもりと同じで治療法がありません。そういう時は「治らないのなら仕方ない、吃りながら生きるしかないか」と吃りを片頭痛に置き換えると、肩の力が抜けて楽になれます。
 どもりで悩んだからこそ、どもりは治らないものだからこそすぐに気持ちの切り替えができるのも、どもりのプラス面だと思います。
 
 この本を読んで、まだ気づいていないだけでたくさんプラス面があるかもしれないなと思いました。新しいプラス面をこれからも見つけられる自分でありたいなと思います。
 
OSP機関紙『新生』2005年04月号掲載