| ||||||||||||||||
| 2024年度 第7回 新・吃音ショートコース |
2024年度 第7回 新・吃音ショートコース・概要・日時:2024年10月12日(土)・13日(日) ※伊藤伸二ブログに掲載された記事から、「2024年度 第7回 新・吃音ショートコース」報告の概要をまとめました。 「新・吃音ショートコース」は、今年で7回目でした。テーマを「吃音哲学 〜吃音の豊かな世界への招待〜」とし、最初からプログラムを組まず、参加者が集まり、そこで何をしたいか、何について考えたいかをまず相談することからスタートします。参加者が自ら決めることを大切にしたワークショップです。 今回、集まったのは、島根、千葉、滋賀、三重、奈良、兵庫、大阪からの参加で、自己紹介から始まりました。 まず、会社で、対話とは何かの研修を受けたが、果たして、たとえば、上司と部下の間で、対話は成り立つのだろうか。上司としての、また部下としての心構えとして、何があるだろうか。また、どもる人にとってなぜ対話が必要なのだろうか、という話が出ました。 対話と会話の違いについて話した後、「どんな場だったら、自由に話せるだろうか」と、参加者に問いかけました。 ・自分が傷つけられない、批判されない場 ・信頼でき、自分を認めてくれる場 ・安心でき、安全な場 ・平等に時間が与えられる場 ・年齢、利害関係など関係なく、対等な立場である場 ・出た話はその場限りということが守られる場 ・必ず誰かが応答してくれる場 ・他人のことばを紹介するのではなく、自分の人生を賭けて発言する場 どれも、そうだなあと思います。こういう場でないと、人は話すことはできません。この日は、ひとつの結論は出すことが目的ではない対話が、参加者がそれぞれ意見を言い合い、聞き合いして、続いていきました。 参加者からの「オープンダイアローグのフィッシュ・ボウルを経験したい」との要望を受けて、参加者のひとりが今、抱えている問題を取り上げることにしました。真ん中の小さな円には4脚の椅子を置きます。そこに、問題提供者と僕が座り、固定席としました。そしてもうひとり、参加したい人が座り、もうひとつの椅子が空いています。外の大きな円には、そのほかの人が座り、中の話を聞きます。話したくなったら、真ん中の小さな円の空いている椅子に座ります。それまでそこにいた一人が抜け、常に椅子はひとつ空いている状態にしておきます。 個人的な大きなテーマなので、長い時間、話しました。決して急がず、ぽつりぽつりと出てくることばを大切にしながら、どうしてそう思うんだろうと問いかけていきました。本人が、自分の問題の核心に近づいていくのがおぼろげに見えてきます。僕は、最後に、「これで終わっていいですか。何か最後に言っておきたいことはありますか」と尋ねました。「ありません」と言った本人の顔は、なんかすっきりと見えました。 夕食後は、発表の広場でした。「若者言葉の「大丈夫です」は、大丈夫か」と「医療機関での言語聴覚士による吃音へのアプローチ」を聞きました。また、参加者の尺八演奏に合わせて、みんなで歌を歌いました。ゆったりとした気分になりました。 2日目は、1日目のオープンダイアローグで対話を続けた時間について、本人とその場に居合わせた人たちが、気づいたことや考えたことを丁寧にふりかえることからスタートしました。僕は、この、体験したことをふりかえることをとても大事に考えています。 自分の課題を提供した人は、昨日、自分の問題を出して、みんなで考えるということを体験しました。それがそれで終わってしまったら、これは、ひとつの体験で終わってしまいます。体験したことを振り返ることで、それは経験になるのです。それは、もう一つの自分が、自分を見ることとも言えます。体験から経験へ、そして学びへ、です。 次に、アドラー心理学について知りたいというリクエストがありました。僕は、アドラー心理学の基本前提を伝えました。覚えやすいように、語呂合わせになっています。 「こぜに、もった」です。 「こ」→個人の主体性…人生の主役は自分であること。 「ぜ」→全体論…行動も感情も全部含めて私だということ。 「に」→認知論…誰もが主観的に物事を見ている。 「も」→目的論…人の行動には目的がある。 「った」→対人関係…すべての行動には必ず相手がいる。 そして、アドラーは「共同体感覚」を大切にしているのだと話しました。「共同体感覚」とは、自己肯定・他者信頼・他者貢献の3つで成り立ち、一つが欠けてもだめで、それぞれに関係があり、ぐるぐると廻っています。このことを、僕のセルフヘルプグループの体験を通して説明しました。 ことばの教室の担当者から、社会人になってから自分の吃音を説明するかどうか、どう説明してきたか、成人のどもる人への質問が出ました。 僕は、人が自分の周りの人に対して、吃音の理解を求めて、吃音を公表することは、大事なこととは思いません。まして広く社会に公表するなど何の問題解決にもならないと思います。自分の身近な人、それを僕は半径3メートル圏内の人と言いますが、その人に対して、必要なときに必要であれば言えばいいだけのことです。また、伝えるときに、小さなぼそぼそとした声では伝わりませんから、大きな声が出せるようにしておくことも大事だと思います。 とここまで来て、楽しく声を出すレッスンをしました。谷川俊太郎さんの詩をみんなで読んだり、ひとりひとり読んだり、母音を意識してゆったりと息を深くして歌を歌ったりしました。気持ちのいい時間でした。 参加者の最後のふりかえりを、少し紹介します。 ・話を聞いてもらって、みんなからいろんな話を出してもらった。これは、口に出さないと起こらないことで、口に出すことが大切だと分かった。新しい考えができそうな予感がする。 ・対話の中で考え、ことばが生まれていくことを体験した。 ・声を出すのが気持ちよかった。 ・参加者のまじめで誠実なかかわりの中で、対話がすすみ、ことばが生まれ出てくる場に立ち会えて、なんともいえない心地よさを味わった。 何のプランもなく、始まった2日間でした。その時、その場で生まれてきた思いのままに、すすめてきました。人と人とが出会う、この濃密な時間が、僕は大好きなのだと改めて実感しました。 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/10/24 ☆同ブログ 2024年10月22日「新・吃音ショートコース 1日目」記事 ☆同ブログ 2024年10月24日「新・吃音ショートコース 2日目」記事 |