伊藤伸二さん、インタビュー

聞き手:川崎 益彦

聞き手:『にんげんゆうゆう』出演、お疲れさまでした。
 伊藤さんは日本でセルフヘルプグループを作られた草分け的存在だとお聞きしていますが、 セルフヘルプグループの誕生の歴史など教えてください。

伊藤:僕らが言友会を作ったときは、障害者運動が盛り上がり始めてくる頃で、障害者団体とか、病気の場合だったら患者団体ができたんじゃないかな。その中で言友会もできたんだけれども、セルフヘルプという概念ではなくて、病気を治したい、そのために言ってみれば安上がりの吃音矯正所という感じですね。病気や障害者の団体も、いわば権利闘争であり、社会に障害や病気を理解させるための運動でした。だから言友会ができる前はそれすらなかったわけで、障害者の生活と権利を守る都民連絡会も、昭和40年頃僕らがやり始めた。それから障都連(障害者の生活と権利を守る都民連絡会)を作って、障害者の運動に関わってきた。そこで面白かったのは、目の見えない人は聞こえない人の、聞こえない人は目の見えない人のお互いの障害というものが、障害者としての苦しみは分かるけれども、お互いなかなかも一つ理解出来にくい所があった。
 そうこうするうちに、吃音は障害の中ではあまりにも軽度というか、肩身が狭いというか、 向こうがすごい重要な法案というか要求というか出てくるけども、僕らから言わせれば、公的な治療機関をとその程度しかないわけで、なんか一緒にやってても違和感を感じた。僕としては少しずつエネルギーが落ちてきて、それよりは青年運動、この前のスタナウに書いたけれども東京からひとりぼっちの若者をなくそうというサークルが当時活発で、「若い根っこの会」とか「緑の会」とかいろんな会があって、それが政治とも結びついて、いろんなグループができた。その人達との関わりが、障害者との関わりよりも増えてきて、言友会を作った5年目頃から、吃音者というよりも一人の青年としてどう生きるのかを模索し始めたら、いわゆるセルフヘルプグループの持っている機能が芽生え始めてきたのかなあ。それまでは安上がりの矯正所という感じがしたよね。

聞き手:治療という面からだんだんと離れてきたわけですよね。

伊藤:そうそう。最初はやっぱり治したいとかで、基本的には何とか訓練をして改善しようと。だからそのままを認めて互いにサポートしようというセルフヘルプではないよね。

聞き手:患者や障害者から、個人としての生き方を考えるという。

伊藤:そうやね。だからそうならないとセルフヘルプではない。病気という一つの問題に向き合っているからセルフヘルプではなく、生き方というところまで行ってこそセルフヘルプかな。僕はそう思っているけど。

聞き手:生き方ということで思ったんですが、『にんげんゆうゆう』で僕が最も印象に残っているのは、伊藤さんが最後におっしゃった「生活の質を高める」という言葉が、一番爽快というか、僕の考えをはるかに越えた言葉だったんですが。

伊藤:そうか、いつも言っていることなんだけど(笑)。患者団体とセルフヘルプグループの違いというのは、いつもセルフヘルプ支援センターでも問題になるのだけども、治すとか軽くするとかやるなら、これはもうセルフヘルプグループではない。

聞き手:『にんげんゆうゆう』ではダルク(薬物依存者の会)がでてきましたね。ダルクの放送を見て一番衝撃を受けたのは、「仲間がいるから今まで生きてこられた」と一人の人が言ったことですが、それを見て、吃音と全然違うなあ、すごいなあと感じました。ただダルクを見て感じたのは、今あの人達はダルクの中で共同生活をしていて薬を絶っているわけでしょ。社会に出て行ってからが勝負というところありますよね。そういう意味では、伊藤さんが『にんげんゆうゆう』の中でおっしゃっていた言葉で、「日常生活に出ていこうよと、ポンと背中を押すのがセルフヘルプグループの役割」というのがありました。先ほどのダルクと合わせると、セルフヘルプグループというのはその中で完結して満足するんじゃなくって、社会で生活するためにちょっと立ち寄って元気になるというか、そんな「基地」みたいなものなのかなという気がしたんですけど。

伊藤:薬物にしてもアルコール依存にしても、その場で確かに薬やアルコールは飲まない。そしたら自分らしく自分なりの人生を生きているかというと、そうでもない。もし僕が、東京正生学院の閉鎖された中で1年、2年生活すると想像すると、きっと恐くて社会に出られない。でも、僕たちのグループの人だったら、1年経ち2年経ち3年経っていく内にどんどん変わってくるし、自分の実生活の中で生きていけるし。

聞き手:『にんげんゆうゆう』のセルフヘルプグループ特集は4回ありましたが、「他の人達が少しずつ明るくなっていくのを見るのが楽しい」これはみんな言ってましたよね。

伊藤:相手の変化とか、成長を喜ぶというのかな。それはすごいよね。だからこそやってるんで、他者の苦しみに沿って、他者の喜びを共に喜べる。まさにセルフサポート、セルフヘルプだね。

聞き手:ゲストの岡さんがうまくまとめていましたね。「分かち合うことは、人によっては否 定的な慰め合いのニュアンスを感じるかもしれないが、そうではなくて、分かち合うことで、自信を持って、今まで悩んできた人が積極的に社会に出ていったり、周りの人の意識を変えることもある。また、集まりあって頼り合うのではなく、一人一人自立して社会で生きていく。」こういうふうにおっしゃってたんですが、伊藤さんが何か付け加えるとしたら?

伊藤:僕は20年も前に吃音者宣言という本の中で、社会を変えていくのは吃音者それぞれ一人一人の生き方だと書いたけど。だから生きていくその人の生き方、姿勢、姿それ以外にはないかなと思うね。吃音のせいにしている限りは、治療という概念から離れられない。だから、社会の意識もかわいそうなものとして、援助しなければならないものとしての意識がずっと続く。そこで番組の最後で僕が言ったように、初めて吃音教室に参加した女の子のようなことが起こるのは、僕らが吃音を否定せずに付き合っていくということを徹底しているセルフヘルプグループだからであって、もしも「苦しいよね、悲しいよね、辛かったよね」ということだけ分かち合っても、自信なんて生まれない。

伊藤:感情を分かち合い気持ちを出し、すっきりした、ほっとした、それじゃあ何にもならんとは言わんけど、楽になるだけで、その当たりが限界だろう。それを補うのが論理療法だと思う。僕らには知恵があるんだから、知恵で整理して、それで思考の枠組みを使って生きるというあたりにしないと。

聞き手:『にんげんゆうゆう』にでていた他のグループの印象に残った話を大阪吃音教室と比較して、大阪吃音教室の特徴を探ってみたいと思います。
 まず、ひまわりの会(家族との死別の会)では、辛いね、悲しいねと言って泣くことしか出来ないが、くよくよしてダメな自分でも良いということに気付いて、その結果少しずつ楽になると言ってました。これはどうでしょう?

伊藤:そのままのあなたでいい、おどおどしてもいいし落ち込んでもいいし、ダメな自分でもいい。ねばならないの世界じゃない。まずは、自分の弱さとか辛さとかを受け入れてもらって、「今の自分そのままでいい」が出発にならないと、次のステップには行けない。

聞き手:次にパニック障害のグループなんですが、この中で興味深かったのは、恐れているのは、パニック発作、広場恐怖、次に予期不安なんです。パニックを起こす状況を避けようとして、生活の幅が狭まる。まさに吃音と同じですよね。番組の中で女の人が「なくしたものもあるけれど、得たものの方が多い。真の友だちを得た。」と言ってました。

伊藤:吃音を否定して生きてきてる人間にとってみれば、なくすことばっかりじゃないの。人間関係もなくし、本当は挑戦する楽しい世界があるかもしれないのに、避けて止めるわけでしょう。どもりを口実にして失ったものはすごい数があるよね。実際どもりを受け入れて生活してたら、失うものは何一つない。ちょっとのことなんだけどそのちょっとが大きいよね。

聞き手:ゲストの大阪府立大学の教授は、「マイナスと思いがちだが、患者会の活動を通じて、病気の体験をプラスに受け止めている。」と言っていますね。

伊藤:不思議だよな。あれだけ僕自身21才の時は吃音が嫌だったわけでしょう。これさえなかったらと、どんなに思ったかね。でも今は吃音は確実に「贈り物」だと思うね。

聞き手:次にダルクの人は、「自分に気付くためには、等身大の鏡が必要」だと言ってます。これは吃音の場合どうでしょう?

伊藤:似てるんじゃないかなあ。結局分かち合うことによって、何が起こるかというと、一つは自分のことに距離を置く、客観視する。僕らは今でこそ平気だけど、人がどもっているのを見るのも嫌だったよね。それが、他人がどもっているのを見れるということは、自分を見れるということに繋がる。それが客観視ということだよね。それはやっぱりセルフヘルプグループの中で基本じゃないかなあ。同じようなことを自分が言うんじゃなくて、他人が言っている。自分を眺めるのは難しいけれど、自分と同じようなことを経験している人がしゃべると、「おうおう、俺と同じことを言ってるわ」と眺めることになる。

聞き手:その人のその時の対処というか工夫が、自分の考えよりも良かったら、「ああいうふうになりたいな」と思う。僕が吃音教室に通いだして他のメンバーにあったとき、羨ましかったですよね。

伊藤:そうやろうね。こういう方法自分も使えるのかという選択肢が広がる。

聞き手:ダルクのメンバーの一人が「自分が生きられると思ったきっかけ」というのは国際大会なんですよね。伊藤さんも世界で初めて吃音者の国際大会を開きましたが。

伊藤:国際大会に参加しただけというんじゃないからなあ。開催したんだからすごい大きいよね。結局、人の喜びというのか達成感というのは、酒や薬物を止めているだけというのではなくて、もうちょっと困難度の高いやつに取り組んで達成したときに、やったという感じが起こるよね。自分にとってかなりのエネルギーを使い、がんばらなければ達成できないような課題を持って、それに挑戦し、それが達成できたとき、これは大人でも子どもでも「やった」という感じになるでしょうね。

聞き手:番組収録のときのエピソードなどあれば教えてください。

伊藤:収録の前に、食事しながら打ち合わせするんだよね。それで一つの番組の構成というか、シナリオを話し合う。ディレクターが質問して僕がしゃべる。その時は時間制限がないから、すごく自分でも「ええこと言うとんなあ」と思って、NHKのディレクターも「吃音ってすごく面白いですね」となるわなあ。それで、打ち合わせのシナリオみたいなのができて、これは言おうとかこれは削ろうとかメモするわな。でも実際は見れない。リハーサルの時に、時間を計って、30分で完全にきちっと終わらせるようにやる。ところが実際リハーサルは40分ぐらいかかる。すると、「あれを削ってくれ」とか言うんだけど、覚えてへんがな。削りようがないというかさ、ふんふんと頷いてはいたけど。だからほんまに正直ゆうて、何ゆうたか覚えてない。準備の時にしゃべってリハーサルでもしゃべって、同じことを3回しゃべるんやから、これはきついよ。アナウンサーは「忘れてしまって」と簡単にゆうてくれるんやけど(笑)。

聞き手:あの番組自体は編集なしでしょ? 見事にまとまってましたね。

伊藤:全然なし。だから、後でディレクター達が「伊藤さんも岡さんも見事!」ってえらい感心してくれた。

聞き手:僕もそう思いましたよ。最後に岡さんの話を受けて、「話す内容があるのか」とか「生活の質」までいったわけですよね。すごく感動しました。

伊藤:本当は心配だったの。しゃべってないんじゃないかって。リハーサルの時の記憶がちょっと残ってるし。実際テレビ見るまで恐かった。でも実際に見てみたら、8割がた言えてるかな。一番言おうと心掛けたのは、どもる人の苦しみ、それをどういうふうに表現したら伝わるか。それは僕にとって一番大きかったね。それがほとんどと言っていいかなあ。

聞き手:どうもありがとうございました。