ことば文学賞 2010年度


最優秀賞 どもる力 鈴木 永弘  
 

  私の人生を振り返ると、そこにはいつも吃音が深くかかわっていた。
 小中学校を通して一番の悩みは「どもる」ことだった。授業での本読み、発表、学校行事と、どもらなければどんなに楽な学校生活だったろうか。そして高校に入学するとより一層その悩みを深めていった。・・・
 そんな辛い高校生活ではあったが、三年生になってから親友と呼べる友達が出来た。彼とは趣味や考え方が近く、話していて楽しかった。ところが・・・

続きを読む・・・



優秀賞 吃る、あなたの娘より 藤岡 千恵  
 

  「もっとゆっくり喋りなさい」
 このメッセージを父が私に向けた一番最初のとき、私は3歳くらいだっただろうか。自分と同じように吃り始めた娘に対して父は、そのようなメッセージを送るようになった。その「もっとゆっくり喋りなさい」には『吃るお前の言葉は聞きたくない』『吃ってはいけない』という思いが込められていると私は感じ始めたのだろう。年を重ねるうちに、私は父にも母にも友人にも、自分を取り巻く全ての人に対してどもりを隠すようになった。・・・

続きを読む・・・



優秀賞 どもりは審査委員長 赤坂 多惠子  
 

  私の人生の第一次審査は“どもり”が担当する。仕事を探す時は、社名は言い易いか、住所や電話番号すら言い易いかどうか審査の対象となる。・・・言い易いと思って入社した会社も、いつの日か言いにくくなる時がある。そんな時は次の会社が私を呼んでいる、待っていると解釈し退職の方向に向かう。彼を選ぶ時も名前は何? がひとつのポイントとなる。・・・

続きを読む・・・


2010年度 最優秀賞

どもる力

鈴木 永弘

 私の人生を振り返ると、そこにはいつも吃音が深くかかわっていた。
 小中学校を通して一番の悩みは「どもる」ことだった。授業での本読み、発表、学校行事と、どもらなければどんなに楽な学校生活だったろうか。そして高校に入学するとより一層その悩みを深めていった。毎日が「どもり」との葛藤で、そこから解放されるのであれば、その他の事はどうでも良いというような考えを抱いていたのだが、普段は自分を誤魔化して明るさを装っていた。
 そんな辛い高校生活ではあったが、三年生になってから親友と呼べる友達が出来た。彼とは趣味や考え方が近く、話していて楽しかった。そして何よりもしゃべるリズムが妙に合っていて、話しやすかった。ところが二学期に入ってすぐ、体育祭の応援団に参加しなければならなくなった彼が、一人では参加したくないので、しきりに一緒に参加しようと私を誘ってきた。私にとって大声を出さなければならない応援団に入るのは何としても避けたかったのだが、「どもるから一緒に参加したくない」と話すことが出来ずに曖昧な態度をとっていた。そして初練習の日、授業も終わりこれから練習が始まろうとしていた時のこと。午後の日差しがあふれる廊下に、これから一緒に練習に行こうと誘う友人と私の姿があった。あの時の彼はかなり強引だった。それほど一人では練習に行きたくなかったのだろう。それなのに、どうしても一緒に行って欲しいと私の手を引っ張る彼を振り切り、私は一人放課後の廊下を走り去った。どもるかもしれない不安から解放されたい一心で、一緒に参加できない理由を説明出来ずに、逃げるように学校を後にした。あの時、チラッと振り返った瞬間目にした、廊下に差し込む光りに照らされた彼の寂しそうな姿を今も忘れられない。
 「なんて自分勝手な人間なんだ」。ずっと長い間、私は自分の吃音のことしか考えられない人生を送った。

 それからも相変わらず「どもり」に悩む生活は続き、毎日が自分の事で精一杯だった。就職も出来るだけ話す事が少ない仕事を選び、目立たないように静かに生き延びたかった。しかし、こんな弱い自分だからこそ、日々の暮らしの中では他人に優しくなろうと思うようになった。そしてそれが生き延びる手段のような気がしていた。
 そんな私にも付き合う人が出来た。そして彼女に対しても出来るだけ優しく寛容に接するように心がけた。関係は長く続き、平穏な日々が流れていた。彼女にだけは自分が「どもる」ことを話していたし、彼女もきちんと理解してくれていた。
 ある日、車で彼女の家に向かっている途中、信号で停車していると背中にすごい衝撃を感じた。後ろから追突されたのだ。「どうしよう?!」この時のどうしよう? は事故のことでは無い。彼女の家に連絡をしなければならないことだ。電話を掛けると、案の定彼女の母親が出た。今まで何度も彼女の母親とは話をしていたが、事故で気が動転していた私は一言も声を発する事が出来ないまま、電話を切られてしまった。もう一度かけ直す勇気もなく、かなり遅刻して彼女を怒らせてしまった。彼女の怒りは遅刻したことよりも、連絡をしなかったことに対してだった。
 でも、この時私がした言い訳は、公衆電話が近くになく、気が動転していた上に事故処理に手間取ってしまって、電話するより出来るだけ早く迎えに駆けつけたかったというものだった。自分が「どもる」ことをきちんと理解してくれていた彼女にさえ、「電話したけれど、どもって繋がらなかった」と告げることが出来なかった。その時の私には大事な場面でどもった自分がみじめに感じられたが、それよりももう一度電話をかけ直さなかった自分を許せなかった。大切な要件を伝えるよりも「どもり」から逃げることを選んでしまった自分を。

 私は人生において多くのものを吃音のために失ってきた。「どもる」ために我慢したこと、諦めたことは数知れずある。吃音さえなければもっと違った人生を送れたのではないか、多くのものを失わなくても済んだのではないか、と思うことも良くある。いや、あった。
 しかし今は、「これが私の人生なのだから仕方ないな」と思っている。まだまだ、どもると落ち込むし、喪失感で胸がいっぱいになると苦しくなる。でも、全て吃音が原因だとは思っていない。吃音以外にもいろいろ原因がありそうだが、原因を追及して悩むより、どもれる力、失うことを恐れない力、そして他人と自分を認めることのできる優しさを身につけたい。
 それが生きる力なのかなと思ったりする。気負いなく、ゆったりと力強く生きられたなら、自分の吃音を認めることが出来るんじゃないか。その時に私は吃音で良かったと心から宣言したい。

【選者講評】
 「私の人生を振り返ると、そこにはいつも吃音が深くかかわっていた」で始まるこの作品のタイトルが「どもる力」となっているのが、次の展開に興味をもたせる。確かに、この作品で取り上げられた2つの象徴的なエピソードは、もの悲しく、作者の吃音との葛藤の様子が、吃音に悩んだ経験のある人には痛いように想像できるだろう。大切な親友の頼みを、理由も伝えず断ってしまった自分への後悔の気持ちを、今も作者は持ち続けている。振り返ったときの、光に照らされた友だちの寂しそうな姿の描写は、同時に、自分勝手な自分を影の中に浮かび上がらせる。また、吃ることを理解してくれている彼女にさえ、遅刻の理由を伝えることができなかった。電話をかけ直さなかった自分、どもりから逃げることを選んでしまった自分を、作者は許すことができなかった。
 一方で、このようなことを経験し、自分を見つめてきた弱い人間だから、日々の生活の中では他人に優しくなろうと思うようになったと作者は言う。実際、作者は人に優しく、周りの人への気配り、面倒見がとてもいい。吃音のために失ってきたものは多いかもしれないけれど、吃音のために得てきた「どもる力」に思いが至ったことで、過去の出来事への後悔の念が和らいだことだろう。最後の「気負いなく、ゆったりと力強く生きることができたら、自分の吃音を認めることができるんじゃないか。その時には吃音でよかったと心から宣言したい」との締めくくりに、作者の「どもる力」をみた。

【作者感想】
 文章を書き出した当初は吃音の体験を語るよりも、「どもる」ことに悩み、自分の事ばかりを考えていた過去の経験から、読者にメッセージを送りたいと思っていました。「どもり」への囚われによる、自分の内側で考えを堂々巡りさせる習慣を、少しでも早い段階で外に向けての注意や行動に変えて行ってはどうだろうか、というメッセージを。
 けれども、文章を書き進めて行くうちに、自分自身が苦しくなっていることに気付きました。「まだ、自分は人生に迷っているんだなぁ」「これからも悩みながら生きて行くんだろうな」と思いました。そして、そんな自分の気持ちを書くことにしました。
 迷いと悩みと少しの諦めと、先に見える小さな未来と、ずっと自分に足りない気がしている「生きる力」。それらのことがどれだけ表現出来たのかは分かりませんが、評価を頂き嬉しく思っています。ありがとうございました。

このページの先頭に戻る


2010年度 優秀賞

吃る、あなたの娘より

藤岡 千恵

 「もっとゆっくり喋りなさい」
 このメッセージを父が私に向けた一番最初のとき、私は3歳くらいだっただろうか。自分と同じように吃り始めた娘に対して父は、そのようなメッセージを送るようになった。その「もっとゆっくり喋りなさい」には『吃るお前の言葉は聞きたくない』『吃ってはいけない』という思いが込められていると私は感じ始めたのだろう。年を重ねるうちに、私は父にも母にも友人にも、自分を取り巻く全ての人に対してどもりを隠すようになった。誰の前でも常に自分の言動に全神経を注いでいた。ちょっとでも言葉がつっかえると、自分のどもりが相手にバレたんじゃないかと冷や汗をかいた。
 新聞記事で伊藤伸二さんのことを知ってからずいぶん経って、私は大阪吃音教室(当時は大阪言友会)の扉を叩いた。しかし、吃りながら明るく生きている人たちの輪の中にどうしても入れず数ヶ月後には通うのをやめた。「私はあの人たちみたいに吃って生きられない」「どもりを治したい」と思う気持ちがぬぐえなかったのだろう。
 それから8年ほど経ち、再び大阪吃音教室を訪れた。その時私は、自分の根本的な問題であるどもりに向き合わない限り、この先生きていくのが大変だろうと感じていた。そして再び訪れたとき、8年前と変わらない例会の雰囲気に安心し、私の心は徐々にほどけていった。
 それから母が亡くなった。私は、自分がどもりと格闘しながらも精一杯生きていることを母に伝えたかった。伝えられなかったことがとても残念だ。しかし、父に伝えたいとは思わなかった。もともと父のことは苦手だったのだ。
 だが、大阪吃音教室に通ううちにどもりの症状が少しずつ表に出始め、父の前でも吃るようになった。それでも私は父とどもりの話をしたくなかった。ある時、吃って喋る私に父は言った。「ゆっくり喋ったらどもりは治る。父ちゃんも昔はどもりやったけど、ゆっくり喋るようになってから治った。ゆっくり喋りなさい。」と。
 ところが父の喋り方は、ゆっくりどころか早口で声も小さい。一度や二度聞き返したくらいでは聞き取れないくらい言葉が不明瞭だ。私には父がどもりを隠しているようにしか思えない。その父に「俺は治った」「ゆっくり喋れ」と言われるのはたまらなかった。吃る私をこれ以上否定してほしくなかった。だから私は大阪吃音教室のことや、どもりは治らないことなど何度も伝えた。何度も伝え、理解させようとしていた。何より吃る私を受け入れて欲しかった。
 私は吃る仲間と出会い、どもりに対する思いが少しずつ変化してきた。どもりの症状が強い時はとても不便だしストレスも感じる。それでも、吃りながらでも自分の言葉で自分の思いを伝えられる方がいい。でも父は違う。治ったと言いつつ、どもりをごまかしているようにしか思えない。吃る事実を認められずにごまかして生きている父を可哀想だと思った。
 でもある時、私もほんの少し前まではそんな父と全く同じだったことを思い出した。私は、たまたま自分のタイミングが合い、運良くどもりの仲間に出会えたというだけのこと。何も特別な人間なのではない。そう思うと父を可哀想な目で見ていた自分を恥ずかしく思った。
 「俺は治った」と言いながらも、父は吃る自分と今でも闘っているのかもしれない。そういう視点で見てみると、普段は不明瞭な話し方をしているが、仕事の関係者と電話で話すときの父は、すごくゆっくり大きな声で話していることに気づいた。相手に聞き返されている様子もない。言い換えや倒置法なども駆使している。そういえば昔から父は昔から仕事に対する情熱が強い人であったように思う。そのような真摯な姿は得意先の人にも伝わるのか、父を気に入る固定客も少なくないようだ。父も自分なりにサバイバルをしているのだろうか。
 娘の私に「ゆっくり」と言うくせに、普段は相変わらずものすごく早口。吃りたくないがために、言い回しを変えたり「ええと、あれや、あれ」というような前置きが多いため、何を伝えたいのかわからず私はイライラしてしまう。それでも父なりに吃る自分を生きている。30年ほど前「ゆっくり喋りなさい」と言った時、吃り始めた娘と自分を重ねて心配したのかもしれない。娘がどもりを持ったまま生きていくのを見ていられなかったのだろう。
 父は私の中に吃る自分を見、私は父の中に吃る私を見る。それらが交わることは残念ながら今後もないだろうが、お互いにどもりと共にこれから先も生きていくのだろう。

【選者講評】
 父親からの「もっとゆっくり喋りなさい」のメッセージを、自分を否定するものと受け止めた作者は、どもりを隠し続けてきた。その後、大阪吃音教室との出会いの中で、どもりと向き合わない限り、自分を生きることができないと思い、徐々に変わっていく。
 しかし、父親は相変わらず「父ちゃんも昔どもりやったけど、ゆっくり喋るようになって治った」と言う。その父親の姿に、以前なら反発していたものが、作者の成長とともに、父親に対する思いが変わっていく。自分自身も以前は、吃る事実を認められずごまかしていた。そして、父なりに精一杯生きていることにも気づいた。
 父親への洞察がすすんでいく過程が丁寧に、易しいことばで、綴られている。父親とは今後も交わることはないだろうというが、作者の父親への眼差しは確実に変わった。作者にとって、今、父親は、共に吃りながら生きる同志として、存在しているといえるだろう。

【作者感想】
 これまで大阪吃音教室の例会で、私が父のことを話題にする時は、「父との関係がうまくいっていない」という内容ばかりだったと思います。そんな父をテーマに文章を書いてみたいと思ったのは自分でも意外でした。
 この賞をいただいた時の川崎さんの感想もまた、自分にとって意外なものでした。「これまではお父さんを『自分とは違うもの』だと感じていたのが『自分と同じもの』だと感じるようになったのでは」というような内容だったと思います。
 そう考えると私と父は「どもり」という共通語を持っています。父も、吃る人にしかわからない気持ちや苦労、失敗などをたくさん経験してきただろうし、そういう点では共感できる気持ちがあるかもしれません。
 今はまだ父とどもりについて話してみたいと思いませんが、この文章がきっかけで、今まで感じたことがなかった父への思いを発見した気がします。
 賞をいただき、ありがとうございました。

このページの先頭に戻る


2010年度 優秀賞

どもりは審査委員長

赤坂 多惠子

 私の人生の第一次審査は“どもり”が担当する。仕事を探す時は、社名は言い易いか、住所や電話番号すら言い易いかどうか審査の対象となる。そして会社訪問すると電話の台数に目がいった。あんまり多いとパスもした。当時は就職口も今より豊富にあり、こんな事も出来たのかもしれない。言い易いと思って入社した会社も、いつの日か言いにくくなる時がある。そんな時は次の会社が私を呼んでいる、待っていると解釈し退職の方向に向かう。彼を選ぶ時も名前は何? がひとつのポイントとなる。言いにくい名前を超えるほどの男であればいいのだが・・・。これって、どもりに左右されているのか? 私はそうは思わない。どもりが原因で行動範囲が狭くなったらいけないかもしれないけれど、私は“どもり”で選択し判断し決断し行動する事が出来た。私がどもりになった意味はそれを“ものさし”にしろと神様が言っているように思えた。選択肢が多くても私は悩むばかりだ。どもりのお陰であまり迷わず生きて来られたように思う。風水も占いも私には関係ない。
 どもりの私が私らしく生きるとは、まずどもりから逃げる方法を考える。そして、逃げられないと思った時は覚悟を決める。何度かエイッと山を越えてきた。
 某生命保険会社に就職した時は学校を担当する事になった。まず、気になる学校名だ。自転車で行ける範囲の学校は・・・。高鷲南小学校、高鷲南中学校、河原城中学校・・・。えっ?! タ行カ行のオンパレード!! 愕然!! だが、言い易いとか、言いにくいとか言っていられなかった。毎日のように訪問するので、行きやすさを優先せねばならなかった。逃げる事が得意な私なのだが、この時ばかりは逃げられなかった。生活の為に仕事を辞める訳にはいかなかった。覚悟を決めた。上司に報告する時、学校名を言わねばならず、この時もあの手この手でサバイバル。何とか切り抜けた。“タカワシ”なんかタ行の中でもスペシャル級に言いにくい言葉だ。だが、半年もすると“高鷲南”は言い易くなっていた。“河原城”も。慣れる事はいい事だ。いろんな山はどうにかなるものだ。
 ある時、いつものようにお客様の家のチャイムを鳴らした。えっ?! あんなに言い易かった社名が出ない! 予期せぬ事だ。社名を言わずに自分の名前だけを言ったのか、「あのーあのー、すみません」と言ったのかよく覚えていない。その日を境に社名がしんどくなった。ふと、今の自分を見つめ直した。どもりに関係無く仕事も行き詰っていた。運よく、次の仕事も待っていたので退職した。その一年後、某生命保険会社は破綻した。
 もうひとつ、どもりのお告げは。私は長い間、いろんな事情と言い易さで、別れた夫の姓を名乗っていた。 非常に言い易い名前だったのに、不思議な事にだんだんと出なくなった。旧姓に戻す時期が来たんだと考えた。次、今の名前が言いにくくなったら? うん? 何がある?
 このように、私の人生の選択は最初に“どもり”がする事になる。どもりを信じ、前へと進む。どもりでなかったら、こんなに決断力、行動力があっただろうか。不安をいっぱいもらったどもりだけれど、人生の不安を軽くしてくれたのも事実だ。それと“ものさし”と表現していいかどうか分からないが、私がどもった時つまった時、相手の表情や態度でその人が少し分かるような気がする。優しく微笑んでゆっくり言葉を待ってくれる人が私は好きだ。これからも、どもりを信じ、どもりにゆだねて生きる。どもり人として、これからも私らしくありたい。

【選者講評】
 まず、タイトルに惹かれて読み進めた。勤めていた会社の名前が言いにくくなったことを、退職するタイミングだと考え、これまで使っていた姓名が言いにくくなったのを潮時に旧姓に戻したりする。人生の転換期をどもりが教えてくれるのだと言う。どもりに人生を左右されたのではなく、ひとつのシグナルと受け止めて選択し、判断し、決断し、行動することができたと言い切る、作者の発想がおもしろい。
 どもりのおかげで、決断力、行動力がついたとも言う作者は、逃げる方法があれば逃げ、逃げられないと思ったら覚悟を決める。これが、作者のサバイバルである。また、どもりは、人を見るものさしだとも言う。確かに、吃音は対人関係の中で起こるものだから、その相手を恐れるのではなく、相手がどもりにどう反応するかで見ていこうと考えれば、対人関係は怖いものでなくなる。どもりに委ねて生きる生き方も悪くないと思わせてくれる。

【作者感想】
 第2回ことば文学賞から9回位投稿し、ネタ切れになり数年振りの投稿でした。ネタ切れだと思っていましたが、いざ書いてみると、いろんな事を書きたくなり、"どもりアラカルト"になり、テーマーをひとつに絞るのが難しくなりました。そこで過去の作文を読み返してみました。数年前に"どもりはものさし"と文中に書いたのですが、伊藤さんのコメントに「もう少し広げたら」という言葉があったので、今回それを掘り下げてみる事にしました。いろんな事を思い出し、改めてどもりを信じてきて良かったなぁ。間違っていなかったなぁと感じました。
 なぜか、私は私の身の上に起こった事は結局、私の為になると確信しています。根拠は? ありません。生きてきてそう思えるのです。"私の人生"を丸ごと生きている事を今回伝えたい事でした。賞は戴けなくても書きたい事は表現できたなぁと満足していました。
 いつものように、ショートコースで伊藤さんが3篇発表していくのですが、2編が発表になり、あと1篇となり諦めました。3篇目「どもりは審査委員長」伊藤さんの声が聞こえた時、「やったぁー」と心で叫んでいました。久し振りの入賞。そして、伊藤さんが選者となり、はじめての入賞に心からうれしかったです。ありがとうございました。
 優秀賞はこれで3回目ですが、最優秀賞はまだです。最優秀賞を目指して頑張りたいです。いつの日か・・・。

このページの先頭に戻る


各年度最優秀賞受賞作品ページへ ことば文学賞・応募原稿募集要項