ことば文学賞 2006年度


最優秀賞 僕の帰る場所 堤野 瑛一  
 

 19歳の時、僕は初めて大阪の吃音教室に訪れた。吃る人達のためのセルフヘルプグループだ。その時僕は、勉強したい一心で進学した大学を、吃音に悩まされて休学中だった。・・・

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優秀賞 よみきかせ 川崎 益彦  
 

 自宅の階段を上った3畳ほどの空間には、数百冊の絵本がある。十年以上前、妻が子どものために買い集めたものだ。一冊から始まって、時には数十冊まとめ買いすることもあった。まだ子どもが話し始める前に見ていた「絵」だけの絵本から、長女が2才頃だったか、ひらがなも読めないのに母親に読んでもらうのをすっかり覚えて、一字一句間違わずに読んだ「ノンタン」。毎晩毎晩飽きもせずにこれでもかというぐらいに長男が読んだ「地獄のそうべい」。数百冊の絵本が並んだその空間は、何か柔らかい空気につつまれている。同時に、ちょっとほろ苦いものも感じる。ある日、僕はボーっと絵本を眺めていて、一冊の絵本を見つけた。・・・

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審査員特別賞 手紙で綴った胸のうち 川東 直  
 

 「はい、こちら119番です。火事ですか、救急ですか」「かっ・・」と言ったきり後が出てこず、沈黙が続いていると「もしもし、電話が遠いようなのですが、火事なのですか、救急なのですか」「かっ・・かっ・・」。またも出てこず困った矢先、"か"だけ何とか伝わったらしく、「火事ですか」という問いかけに、「はい」と即答した。・・・

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2006年度 最優秀賞

僕の帰る場所

堤野 瑛一

 19歳の時、僕は初めて大阪の吃音教室に訪れた。吃る人達のためのセルフヘルプグループだ。その時僕は、勉強したい一心で進学した大学を、吃音に悩まされて休学中だった。
 僕は高校2年生の頃から吃り出した。それ以前は、言葉を発するのに苦労した経験など、一度もなかったのに。それでもまだ、高校にいる間は、誰にも吃音を悟られる事なく、何とか騙し騙し、上手くごまかしながらやって来れた。大学に進学した当初は、吃りがある自分が、これからまったく新しい環境で学生生活を送っていく事に対して、多少の不安はあったものの、まあ何とかなるだろうと楽観視していた部分もあった。しかし実際は、何とかならなかった。
 ある授業に出席した時、初回という事で順番に自己紹介を求められた。初対面の人ばかりに囲まれている緊張もあったのだろう、そこで僕は、初めて人前で激しく吃った。必死で自分の名前を言おうとするが、何秒経っても、最初の音がなかなか出てこない。何とか出そうと力んで引きつった僕の顔を、みんなが見ている。ある人は不思議そうに僕を伺い、ある人は驚いた様子で、ある人はヒソヒソ、クスクスと何かを言って笑っている。ただ自分の名前を言うだけなのに、そんなに吃るなんて普通ではないし、それは可笑しいだろう。恐れていた事が遂に起こってしまった。僕は絶対に他人には見せてはならない恥部を、この時初めて、さらけ出してしまった。何とも言えない恥辱、屈辱感だけが僕の頭の中を駆け巡り、その後の授業など、身に入るはずもなかった。
 それ以来僕は、いつでも吃る恐怖に駆られ、不本意に人を避け、同じ学科内で友達も作る事が出来ず、喋る事が必要な授業には出なくなり、しかしそんな事を続けていては、単位を取得出来ずに卒業も出来ない。
 このままでは駄目だ。何としてでも吃りを治さなければ、自分に将来なんてない。一年間休学して、吃音の治療に専念しよう。そう決心した僕は、学校に休学届けを出し、まず病院でスピーチセラピストの先生からカウンセリングを受け始めた。その先生の勧めで一度、吃音教室に訪れる事となった。
 
 僕はそこで、初めて自分以外に、吃る人達をたくさん見た。吃症状の差こそあるが、多かれ少なかれ、みんな自分と同じように吃っていた。僕はそのたくさんの吃る人達を見て、益々惨めな気持ちになった。格好悪い。不憫だ。自分も端から見たら、ああいう姿なのか。思わず目をつぶり、耳をふさぎたい気持ちだった。
 教室でまず初めに得た情報としては、吃音は治らない、治す事は諦めた方が良い、という事だった。そこの教室では、決して吃りを治そうとはしない。吃りは治そうと思って治せるものではないと、自分は吃音者である事実を認めて、しかし吃りながらでも、いかに自分らしく豊かに生きていくかを提唱していた。事実、かなり吃りながらでも、その人なりに豊かな人生を生きている人は、たくさんいるのだという。
 しかも予想外な事に、ここの教室は、来る前に僕が想像していた、暗くて地味で、慰め合いのような雰囲気とは大きく違い、終始みんなが楽しそうで、笑いも多く、吃っているにも関わらず活き活きとしているように見えた。僕にはそれが異様に思えて、同じ吃音者同士の輪の中にいるのに、疎外感をもった。
 何が一体そんなに楽しいのだろうか、みんな吃音者なのに。吃りながらでも豊かに楽しく生きられるなんて、とんだ綺麗事だ。やせ我慢だ。それに多くの吃音者は、物心ついた幼い時分から吃っていた、いわば先天的な吃りなのだろうけど、自分はついこの間まで"普通"だったんだ。喋る事に苦労など一度もする事なく、これまでやって来たんだ。自分の吃音は後天的なんだ。今、一時的に病んでいるだけなんだ。先天性の吃音は治らないのかも知れないが、自分は何とかすれば、きっと治るに違いない。必ず元に戻れる。自分は、この人達の仲間になんか入りたくない。
 頑なにそう思った僕は、ここにはもう二度と足を踏み入れる事はないだろうと、一度参加したきりで、教室をあとにした。
 
 "何としてでも吃音を治さなければ、お先真っ暗だ。自分に人生なんてない、絶望だ"
 "吃音を治して生きるか、さもなければ死ぬしかない、そのどちらかだ"
 そう考えていた僕は、吃りを治す事だけに、毎日必死になった。病院に通い、精神安定剤らしき薬も処方してもらったが、どうもこんなものでは何も効果がない。薬や医者だけに頼っていては駄目だ、自分で思いつく限りの努力をしなければと、毎日、発声練習もした。ただ声を出すだけでは駄目だと試行錯誤し、鏡に映る自分を相手に見立てて喋ったり、緊張を強いるために録音をしてみたり、自分が吃りやすいシチュエーションを出来るだけリアルに想像して故意に吃る状態を作り、そこから出来るだけ瞬時に口内の硬直をコントロールして吃状態から抜け出す技術を身につけようと頑張ってみたり、家族と喋る時には敢えて吃りやすい言葉を選んで喋ってみたり、自分なりに工夫を重ね、色々やってみた。しかし、いざ外へ出て話す機会に遭うと、一切の努力は報われる事なく、相変わらず吃り、思い通りには話せなかった。むしろ、吃音を意識し過ぎる余り、今まで以上に話す事が怖くなった気さえした。
 ある時、催眠術を試してみてはどうかと思い立った。これはひょっとしたら効くかも知れないと、収入のなかった僕は、決して安くはない料金を親に支払わせ、決して快い意思は示さない親の態度に苦い思いをしながらも、治るかも知れないという期待を膨らませ、催眠療法に通い始めた。しかしいくら通っても、吃音には一向に変化がない。期待は呆気なく打ち砕かれた。高額である事もあり、ある時点で見切りをつけ、催眠に通うのはやめた。多額のお金を捨てに行っただけ、という虚しさだけが残った。
 結局、吃りには何の変化もないままに、復学の時は刻々と近づいてくる。焦りに焦って、もう大学は辞めてしまおうか、自分の人生はこれでお終いなのかと、頭を抱えた。しかし、スピーチセラピストの先生が親身に復学する事を推してくださり、何とか励まされ、勇気を振り絞って復学の時を向かえた。しかし結局僕は、しばらく大学生活を送っていく中で、吃音の苦悩に押しつぶされ、一年も通学しない内に、不本意ながらも退学してしまった。何とも言えない虚脱、無力感、吃りでさえなければという悔しさでいっぱいで、僕は途方に暮れた。
 
 以後数年間、何をするわけでもなく、無気力な生活が続いた。それでも、何とか吃音を治したい、治さなければ生きては行けないという思いは強く、吃音が治るかも知れないと聞けば、鍼やお灸にも通い、気功による整体もしばらく続けた。行く先々に対してどうしても"今度こそ"という期待をもってしまい、しかしその期待は裏切られるばかりなので、結局はどこに行っても、かえって心の傷を深くしてしまうだけだった。
 そして、いつしか僕は、もう自分の吃音を頑なに拒絶し続けるのに、疲れ果てていた。これだけの事をしても治らない吃音を、何とか治そうとエネルギーを遣うのにも、かなり消耗していた。気がつけば、吃音に対する激しい反発心や、人生に対する抜け道のない絶望感さえも徐々に衰え、以前に比べれば気持ちに落ち着きが出て来て、もう充分に頑張ったのでないか、治す事は諦めた方が楽になれるのではないかと、大袈裟な表現かも知れないが、そんなある意味"悟り"のような、穏やかな心境になりつつあった。
 そして更に気がつけば、あれだけ他人に知られる事を恥や恐れとしていた吃音の事を、「僕は吃ります」「僕は吃音者です」と、自分から他人に話すようになっていた。以前なら吃りそうになると、他の吃らない言葉に言い換えたり、話すのをやめたりしていたけど、吃りをさらしながら話をする事も多くなっていった。そして冷静に見てみると、僕の事を吃音者だからといって拒んだり、嘲笑するような人は、そう多くはいないという事も実感した。
 以前の僕は、"吃音を治して生きるか、さもなければ死ぬか"の二者択一だったけれど、新たにそこに、"吃りながら生きてみようか"という、第三の選択肢が生まれた。
 
 「僕は吃音者だ」
 そんな風に思えるようになった頃、ふと、以前にたった一度だけ参加した吃音教室の事を思い出した。あそこには、自分と同じく吃る人達がたくさんいる。また参加してみたいと思い立ち、あれから数年を経て、僕は再び、教室に足を踏み入れる事となった。
 教室に入ると、相変わらず吃る人がたくさんいた。以前はあれだけ、仲間になんか絶対になりたくないと拒絶し、見るのも嫌だった吃音者。しかし今回は不思議と、たくさんの吃音者を見て、ホッとした。今までひとりで背負い込んでいた重たい荷物を、ようやく降ろす事が出来たような、軽快な気持ちになれた。
 自分ひとりではない、仲間がたくさんいる。そんな風に思えて嬉しくなり、元気をもらった。そして以前のように疎外感をもつ事もなく、終始、楽しく充実した時間を過ごす事が出来た。
 吃音をもちながらでも豊かに生きられる。今はその事を、むしろ現実的と感じ、素直に受け止められる。ここにいる人の多くが、時には不便な思いをしながらも、その人なりに何とかやっている。
 吃音教室に通い続けて、かれこれもう四年を過ぎた。すっかり馴染みの顔になってしまった。毎週教室に来ると、思わず「ふう」と溜め息が漏れ、出掛けると言うよりも、今週もここに帰って来れた、という気持ちになる。今では僕にとって吃音教室は、もうひとつの家、僕の帰る場所だ。

【選者講評】
 吃る事実を認めることができず吃音を治そうと懸命になった日々。大阪吃音教室に出会っても、ここは自分の来るところではないと拒否し、治そうともがき続けた日々。一人の吃る人間の心の歴史が淡々と、丁寧に綴られている。寄り道をし、回り道をして、再びめぐり合った大阪吃音教室が、帰る場所であったというしめくくりは、吃音教室参加者の共感を呼ぶだろう。人には出会うべくして出会う時期というものがあるのかもしれない。作者とのこれからからのつながりが見えてくるようである。

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2006年度 優秀賞

よみきかせ

川崎 益彦

 自宅の階段を上った3畳ほどの空間には、数百冊の絵本がある。十年以上前、妻が子どものために買い集めたものだ。一冊から始まって、時には数十冊まとめ買が話し始める前に見ていた「絵」だけの絵本から、長女が2才頃だったか、ひらがなも読めないのに母親に読んでもらうのをすっかり覚えて、一字一句間違わずに読んだ「ノンタン」。毎晩毎晩飽きもせずにこれでもかというぐらいに長男が読んだ「地獄のそうべい」。数百冊の絵本が並んだその空間は、何か柔らかい空気につつまれている。同時に、ちょっとほろ苦いものも感じる。ある日、僕はボーっと絵本を眺めていて、一冊の絵本を見つけた。
 その日、僕の両側には二人の子どもが寝ていた。右側の長女は小学校一年生、左側の長男は幼稚園に通っている。子ども達が寝るとき、いつもは妻が絵本を読むのだが、その日に限って僕が寝転んで絵本を読んだ。妻から言われてしぶしぶ読んだのか、それとも機会があったら読みたいと思っているのに、読むことが不安でその役割から逃げていたのが、ついに意を決して読んだのか分からない。両側の子どもはいつもと違うちょっとぎこちない雰囲気の中でモゾモゾしながら、多少緊張しながらでもニコニコ目を輝かせて聞き耳を立てている。明らかにすごく期待しているのが分かる。なぜならめったに絵本を読んでくれないパパが読んでくれるのだから。誰も気付いていないが、一番緊張しているのは間違いなく僕自身だ。
 その夜読んだ本は、絵本といってもほとんどが字の、一人の少年の冒険物語だ。子ども達にとっては、パパに初めて読んでもらう長いお話。どんなお話が繰り広げられるか、とても楽しみにするのも当然だろう。僕は緊張しながら読み始める。いつもは妻はオーバーなくらい感情豊かに本を読むが、僕は感情もこめずにただ機械的に読む。その理由は照れくさいのもあるが、決してそれだけではない。読みにくいことばを一つずつ慎重に、まるで障害物競走のように、時には言いにくいことばを吃らないよう一気に早口で読む。その都度、僕の意識は、本のストーリーよりも自分の吃りに向けられる。一つの文章を声に出して読んでいるにもかかわらず、意識はこれから読む次の行に移っている。そして、言いにくいことばを探している。こんな読み方だから、感情など込められるわけがない。いったい子ども達はどのような気持ちでパパの話を聞いていたのだろう。ストーリーが面白くって、ヘタクソな読み方も気にならなかったのだろうか。それとも、パパの臨場感も何もない変な読み方に、違和感を持っていたのだろうか。
 最初から数ページをなんとか無事に読んで、次のページをめくったとき、いきなり主人公の名前で始まる文章が眼に入った。カで始まるその主人公の名前を、僕はとても言いにくい。ヤバイっと思ったが、だんだんと近づいてくる。とうとう問題のところに来た。ドキドキが頂点に達しながらでもなんとか読もうと思ったが、不安が現実になった。まったく声が出ない。なんとかごまかしてでも読まないと、話が先へ続かない。といって、子ども達の前では絶対に吃ってはならない。パパが吃りということに、絶対気付かせてはならない。万が一、子どもが吃り出したら大変だ。吃らずに声を出そうと思っても、そんなこと絶対に出来ない。子ども達は異様に長い沈黙に、次はどんなことばが出てくるのかと、余計に聞き耳を立てている。
 結局、数十秒か、あるいはほんの数秒かもわからないが、ものすごい葛藤の後、でも周囲から見ていたら単なる沈黙の後、僕は読むのを止めた。子ども達はまだ読み始めてすぐなので、当然眠たくもなっていない。急に止めたパパに対して「エッ?どうして?」という顔をし、「つまんないの」と不満そうにほっぺたを膨らませ、口を尖らせている。僕はその場から逃げ出すように言った。「パパ、急に用事を思い出したから、もう寝なさい。」たとえどんな急用にせよ、もうちょっとマシな、キリの良いところで終わってもよさそうなものである。それをいきなり楽しみにしていたお話が終わってしまい、寝なさいと言われたら、誰だって面白くない。子ども達は僕が抜け出したために急にぽっかりと空いた布団の中で、しかも電気を消されて、静かに寝た。
 子どもも面白くないだろうが、僕も面白くない。やっぱり読めなかったという悲しさと、子どもに絵本さえ読んでやれない悔しさ、情けなさ、あれほど期待していた子どもに対する申し訳なさ、何かに八つ当たりしたい苛立ちなど、僕の心は様々な否定的な感情で渦巻いていた。
 一階に降りると妻から「もう終わったの?」と言われた。「読まれへんから、しゃあないやんか。」怒りたい気持ちや泣きたい気持ちを抑えて、でも明らかに分かる苛立ちを含んだ声でそれだけを言うのがやっとだった。
 
 十数年経って、その日のことを思い出す。今だったら、どういうように読み聞かせするだろう。多分、最初からもっと上手に読んでいるだろう。数行先を見ながら別の文を読むというのではなく、きちんと今読んでいる文章を、子ども達の表情を楽しみながら、自分もワクワクしながら読むだろう。
 読むのが上手になったといっても、吃りが治ったわけではない。言いにくいことばは今も確かにある。そのことばで始まるときはどうするか。今ならいろんなバリエーションを持っている。出だしの音を引き伸ばして言ってもいい。何度か吃ったら、なんとか言えるだろう。吃りながら読んでもかまわない。なぜなら子どもは僕が吃ることを知っているから。どうしても主人公の名前が言えなかったら、自分の子どもの名前に変えたっていい。子どもは「えー!」っと驚き、「おっかしー!」と言いながら嬉しそうにすることだろう。
 
 十数年後、僕の横には二人の孫が、おじいちゃんに絵本を読んでもらうのを楽しみに寝転んでいる。孫はおじいちゃんに絵本を読んでもらうのが大好きだ。
 なんていっても、おじいちゃんの家には、山のようにいっぱい絵本がある。おじいちゃんは、独特の語り口で絵本を読む。どういうわけだか、いくつかの決まったことばの前では、いつも律儀に一旦停止する。そして、引き伸ばしたり繰り返したり、あるいは無責任に言い換えたり、自由自在に読む。でも、けっして早くならない。もちろん急に用事を思い出すこともない。そのうち、おじいちゃんは絵本を読む途中で、寝てしまう。
 二人の孫が一緒に寝入っているか、それともつまらなくなって遊んでいるか知る由もなく、おじいちゃんは夢を見ていた。夢の中でも、おじいちゃんは相変わらず絵本を読んでいる。夢の絵本のストーリーは、でたらめでいいかげんだが、それでも言いにくいことばだけは、夢の中でもしっかりと意識し、一旦停止していた。

【選者講評】
 吃る人が親になって苦労することのひとつに子どもへの「絵本のよみきかせ」がある。多くの人が様々な体験をしていることだろう。そのひとつの体験を丁寧に振り返っている。初めての珍しい父のよみきかせを楽しそうに待つ子ども、不安の中で読み始めた作者、突然のストップにとまどう子ども、「もう終わったの?」と軽く言う妻、三者三様の光景が目に浮かんでいる。十年たった今、そしてその十年後、と変化していく自分自身をとらえている作者の目もおもしろい。温かい気持ちにさせてくれる作品である。

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2006年度 審査員特別賞

手紙で綴った胸のうち

川東 直

 「はい、こちら119番です。火事ですか、救急ですか」「かっ・・」と言ったきり後が出てこず、沈黙が続いていると「もしもし、電話が遠いようなのですが、火事なのですかかっ・・」。またも出てこず困った矢先、"か"だけ何とか伝わったらしく、「火事ですか」という問いかけに、「はい」と即答した。その後も「そこはどこですか」、「何か目印になるものがあったら教えてください」、「けが人はいますか」、「あなたのお名前は」などの質問に、吃りまくり悪戦苦闘で答えていった。相手の「もう一度お願いします」を何度も耳にしながら。「評価はギリギリ合格です」。その言葉を最後に電話は切れた。ここで、この電話の不自然さに、お気づきいただけたでしょうか。その正体は後ほど明らかにするとして、まずは事の始まりからお話します。
 今年、両親が銀婚式という節目を迎える。僕自身、何か贈り物をしようとあれこれと模索を始めるも、いざとなると難しく、決めては考え直すの繰り返しという悪循環に苛まれていた。そんなこんなでボーと考えていた時、ふと机の上に出したままになっていたペンと便箋が目に入った。気が付いたら手紙を書き始めていた。差出人は両親。
 なぜそのような行動をとったのかは、今でも不思議でなりません。ただあの時は、ひたすら書き進めていたのを覚えています。
 「お父さんお母さん、銀婚式おめでとうございます。僕からささやかですが、お祝いの手紙をお送りします。年月の流れは早いものですね。2人が結婚した1年後に生まれた僕もおかげさまで24歳になりました。父さんとは普段から、あまり吃りについて話すことは少ないですね。大半はお母さんと話した記憶ばかり思い出されます。覚えていますか。お母さんは以前、僕にこう言いましたね。僕が自分の考えや思いを伝えようと話し始めるのだが、物凄く吃り、聞いている方としては、あまり無理しなくていいと心配になることがある。それでもなお伝えようとする姿は、いつも見ていて感心するって。でも、それは特別に凄いことでも何でもない。ただ率直に伝えようとしているだけで、それは吃りであるのか、ないのかは関係ないのです。もちろん、吃るがゆえに生じる不便さに悩んでいないと言えば嘘になります。ただ、悩みはするものの、考えた方に最近こんな変化を見つけました。昔は吃りを何とかごまかすのに、どうしたらいいのかと悩みましたが、今では吃りながらでも自分の気持ちを100%伝えるには、どう言えばいいかと考えています。すると気持ちの面でもだいぶ楽に悩みをとらえられるのです。
 さて、母さんはこうも聞きましたね。いつ、どこで、どんな音の言葉で吃るかわからない吃症状です。話すことから逃げ出したいと思うことはないのか。将来が不安になることはないのかって。〈学芸会でやりたい役があっても台詞の多さに裏方にまわる〉、〈授業中に質問されて答えがわかっているのに、わかりませんと答える〉、〈生徒会委員に推薦されながら演説会を恐れるあまり立候補を辞退する〉、といったように苦しくて思わず逃げ出した場面は数え出したらキリがありません。でも今の自分なら、やろうとするでしょう。なぜなら、心では本当はやりたかったことなのに、吃りを言い訳に不完全燃焼のまま終わらせてしまった後悔が後になってから襲ってきたからです。しかし、この時点での僕には先が不安になるという感情までは、まだ現れていませんでした。仕事で行ったとある防災センターにて119番通報訓練を受けたあの時まで・・」とここで、一旦ペンを止めた。察しのいい方ならお気づきでしょうか。この訓練の様子こそ冒頭での会話のやりとりなのです。ちょうど阪神大震災から10年が経過し、防災サミットなるものが開催された頃にセンターを訪れたため、印象深く残ったのです。しばらくして記憶をたどってから再びペンを動かし始め、手紙の続きを書き進める。
 「言い換えがきかない名前や住所など固有名詞のオンパレードに加え、通報という緊急事態の緊張感がありました。こんなに吃っていたら、いつか起きるかもしれない地震災害時などで、きちんと伝えられるだろうかと先が不安になりました。しばらく動揺を隠せませんでした。あれから、かなりの時間がたった今、改めてこういう思いを持つようになりました。先のことばかり心配しても仕方がない。なるようにしかならないし、先がどうなるかと不安になるのは、誰もが一度は陥る感情だと思う。大事なのは、そのせいで話すことに自信を失ったり、配慮に欠けた言葉によって人を傷つけたりしないことです。なぜなら僕自身、吃音教室を通して吃ってはいけないという呪縛の考えから解き放たれ、話をすることに初めて喜びを見出せたのに、嬉しさのあまり次第に愚痴など、聞き手によってはマイナスのことさえ口にするようになりました。何でも言葉にすることに夢中になっていき、気付いたときには周りへの配慮に欠け、言葉で人を傷つけた経験があるからです。最後には何とか相手と和解できたのですが、人を傷つけるぐらいなら何も話さない方がましと話すことに自信を失い、僕は吃るという事実からも危うく目を背けて逃げ出しそうでした。でもそうしなかったのはこれまでの数々の後悔と、それによって得た誓いが僕の心に刻まれたからです。逃げることは一つの選択肢ですが、それはいつでもできます。逃げずに考えや思いを伝えるのは、おそらく格好悪いくらいボロボロになるのかもしれません。あらゆる手段や選択肢を実行し尽くした後だろうから・・。そして、そういう手段や選択肢を探し考えたりするために、頭脳や知恵があるように最近は感じるのです。吃りを言い訳にして自分に嘘をつき、あの時、ああすれば良かったなどと後悔するより、今、自分ができることから始め、それを精一杯やろう。それをきちんとやらずに、先がどうなるかということばかり気にするのはやめよう。そんなことばかりしていると、いつまでたっても何の気づきや変化も起きない。これらの誓いをしっかりと心に刻んだのでした。
 なぜ吃りに産んだのか、と幼い時、きつくあたった頃もあったけれど、今は感謝の思いで一杯です。ここまで偉そうに綴ってきても、この先どうなるのかわかりません。それを生きるのが人生でしょう。人生の先輩としてこれからも温かく時に厳しい目で見守ってください」。そう書いてペンを置き、封をした。
 今も、職場での社訓やマイク放送など、苦しい場面は続いている。ときどき嫌気がさすたびに、あの誓いが頭をよぎる。
 どうか、もう吃る事実から目を背けることがありませんように。自分の言葉によって人を傷つけることがないように気をつけます。話すということにも、自信が失われることがないようきちんと向き合ってみます。吃りを言い訳にして後悔を増やしたりしません。吃りながらも自分の気持ちを100%伝えられるよう頑張りますから。
 僕は今日も、前に向かって歩き続ける。

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