ことば文学賞


2003年度 最優秀賞

変  身

庄司 仁志

 ある朝、目を醒ますと、男は吃りになっている自分を発見した。
 何となく唇や喉の辺りが重い。試しに声を出してみた。
 「お、お、お……」
 ひゃあ! 男はうろたえた。何度やっても同じことだった。
 (これは、えらいことになった) 頭を抱えた。
 (何だって、俺が吃りになるんだ。真似したこともないし、なりたいと思ったこともない。ちくしょう。いつだって世の中は不条理なんだ)
 悩んでいても仕方ないので、街に出た。視線が、自分に集まって来るような気がした。
 (黙ってたら、分かれへんねん)
 そう言い聞かせたが、道を訊かれたらどうしよう。キャッチセールスは苦手だし。
 いつの間にか、人混みを避けていた。

 「お、お、おは、おはよう…、ごっ、ござい、まま……すす」
 怖れていたことが現実になった。朝礼で、いきなり吃ってしまった。
 (もうだめだ、俺の人生は終わった!)
 閉じた目を開けると、普段と変わらない景色があった。
 よそ見をしている者。ヒソヒソ話をしている者。ぼんやりとこちらを見ている者。
 (何や、誰も真面目に聞いてへんやんか)
 そうなると、男は面白くなった。どんどん吃ったら、どうなるだろう。どんな反応が返ってくるのだろう。目立たなかった人生に、ちょっぴり花が咲いたような気がした。そう言えば、吃ってなかった頃は、つまらなかったな。話せるのが当たり前で、ペラペラ喋りまくっていた。相手も見ずに、自分を正当化する説明ばかりして。そのくせ、いつも孤独を感じていたっけ…

 不便なこともいいもんだ。周囲の優しさ、生かされている自分。気づかなかった世界が見えて来た。
 男は、今日を振り返りながら、布団にもぐり込んだ。
 「ま、まてよ!」
 明日の朝、目が醒めたら、吃りが治っていたら、ヤバイぞ!
 試しにそっと声を出してみた。「お、お、お、おやすみ……」
 (いいぞ、いいぞ)
 今日、出会った人たちのことを思い出した。彼らに向けて、心からおやすみを言えた気がして、満足だった。幸福を感じた。
 変身するのも悪くない。吃りであっても、なくても、今の気持を大切にしよう。
 まどろみの中で、男は眠りについた。


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2002年度 最優秀賞

酒屋のおっちゃんと私

神谷 勝

 「まっ、まっ、まっ、まいど! どっ、どっ、どっ、どうでっか!」
私の家の隣から、元気で大きな声が聞こえてくる。いつも激しくどもっている。この人は私の親戚で酒屋を営んでいる。私はこの声を聞くのが実に嫌だった。いつもどもって、かっこ悪いのに大きな声でしゃべるな、どもりだったら静かにしておけと思っていた。
 私が吃るようになったのは、このおっちゃんも関係している。小学校2年生ぐらいの時に近所にどもりの同じ年の男の子がいた。私はふざけて、男の子の前でどもりの真似をして笑いをとっていた。そのうち、他の男の子に、「どもりの真似をしていたらうつるぞ!お前の親戚のおっちゃんもどもりやろ!」と言われた。
「えっ、うそ、どもりがうつったらどうしよう」
この瞬間に私の中で急激にどもりに対する恐怖が膨れ上がった。私にとってどもりとは、酒屋のおっちゃんの激しくどもるかっこ悪さや、真似をして笑いをとるという何一ついいものがなく、軽蔑すべきものだった。しかし気持ちと裏腹に、徐々にどもり始めていた。「どうしよう… だんだんうつってきた」。そしてそのうち、完全にことばを自分でコントロールできなくなってしまった。
 小・中・高校と不思議なくらいクラスに、私ともう1人吃るクラスメートがいた。しかし吃るようになってからもどもりとは、私にとって軽蔑すべきものだったので、同じクラスメートに声をかけるどころか、近づくこともしなかった。同じ仲間と思われたくなかったし、どもり同士何か喋っていると思われたくなかった。国語の本読みなどで当てられ、どもりながら読んだ時も、ふざけながら読み、まるで知ってどもっているように見せた時もあった。他の友達に「知って、どもっているやろ」と言われた。そこまでしても認めたくなかった。しかし、どもりのクラスメートの心を踏みにじったような気持ちがした。心が痛かった。余計に彼に声がかけられなかった。
 就職してからも、何とか隠せたのでずっと隠していた。早く治したかった。仕事が忙しく、矯正所などに行く時間がなく、ずっともやもやした気持ちで毎日過ごしていた。今年に入り、時間ができ、大阪スタタリングプロジェクトに行ってみた。もちろん、ちょっとでも治ればと、あとは何も求めていなかった。しかし、参加してみて人生観が変わってしまった。全く考え方が逆転してしまったのだ。あれだけ避けていたどもりの仲間。あれだけ嫌だったどもりを認めること。ずっと30年間思ってきたことが、ここに来てわずかの時間でこんなに考え方が変わるなんて。私は今までいいこと、いやなことなどは、+(プラス)100、−(マイナス)100というように、かけ離れているものだと思っていた。しかし、今は硬貨の裏表をコロッとひっくり返すように考え方が変わってしまった。これほどどもりの仲間の中で話し、一緒に行動することがこんなに楽しいこととは夢にも思わなかった。これからもどもりに対する自分の考え方が、いろいろ変わっていくと思う。でも、今思う一瞬一瞬の気持ちを大切にしたいと思う。この大阪スタタリングプロジェクトからのどもりとしてのスタートは、私にとってもう少し早ければよかったと思うが、人生はいくらでもスタートをやり直せるので、新しくできた仲間と一緒にもう一度スタートをしたいと思う。あと、もちろん酒屋のおっちゃんに対する考え方も変わった。おっちゃんのように、大きな声でどもっても自分のことばを伝える、実にシンプルなこと、これが正解だったのだ。
「どっ、どっ、どや! げっ、げっ、元気か!」
今日も隣から元気で大きな声が響いてくる。おっちゃんの笑顔も目に浮かぶ。今は、この声が実に心地よい。

*** この作品は『吃音を生きる』に収録されています ***

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2001年度 最優秀賞

『許可書』をもらった日

川崎 益彦

 5年前の吃音ショートコース。そこで僕は参加している人達から、ある『許可書』をもらった。その許可書とは、「どもってもいいよ」という許可書で、この許可書のおかげで僕の人生は大きく転換した。

 ものごころついた頃からどもっていた僕は、幼稚園の時から親に連れられて吃音矯正所に通っていた。当時大阪市内を走っていたトロリーバスに乗って、矯正所では絵本を読んだり人形劇を見た記憶がある。今となってはどんな気持ちで矯正所に通っていたか思い出せない。ただ、家の中では親から「どもってはいけません。どもらずに話しなさい。」と言われ続け、矯正所ではどもらずに話す訓練を受けた結果、「どもってはいけない」という親のことばが強烈な『禁止令』になったことは間違いない。そして僕は、その親の禁止令に忠実に従うようになり、出にくいことばは言い換えるか、あるいは言うのをやめてしまった。そして表面上はどもりは消失した。

 学生時代、友達との会話や電話など苦しいことは何度もあったが、その都度ごまかしながら、悲しみを感じないように生きてきた。しかし、大人になり就職してから、会社での自己紹介や朝礼など、逃げるわけにいかない場面が多くなった。そのような場面で、「どもってもいいから何とか声を出そう」といくら思っても、子どもの時に親から受け取った『禁止令』が強烈に作用しているため、どもることさえできず、全く声が出ずに立ちつくすことがしばしばあった。どもることもできない辛さ、それから僕はその会社を辞めてしまった。

 禁止令を受け取ってから30数年後、僕は偶然に高野山で知り合った伊藤さんから誘われたのをきっかけに、滋賀県であった吃音ショートコースに参加した。そこで僕は初めて多くの吃音者と出会った。彼等は元気で明るく、恥ずかしげもなく堂々とどもっている。そして、それぞれの人生を精一杯前向きに生きているような気がした。その時僕は、自分はみんなのようにどもるのはいやだが、みんなのように明るく前向きに生きたいと思った。

 ショートコースの途中、少しドキドキしながら意識的にどもってみた。多少ぎこちないどもり方で、どんな顔をしてどもっていたか自分では分からないが、みんなニコニコしながら聞いてくれた。その時僕は意外なことに気付いた。「どもることって気持ちいいんだ。」それからだんだんとどもる声が大きくなり、どもりを楽しんでいる自分がいた。ショートコースから帰ってからもその高揚した気持ちは続き、吃症状は重くなったが、どもるかもしれないという不安はほとんどなくなった。

 今から思うと、この吃音ショートコースで僕はみんなから、僕にとって最高のプレゼントである「どもっていいよ」という『許可書』をもらったのだと思う。この許可書のおかげでその後の僕の人生は大きく好転していった。仮にもっと早い時点で別の機会に同じ許可書をもらったとしても、きっと僕はその許可書を受け取れなかっただろう。どもりに悩み続け、いろんな体験をし、その結果どもりをあきらめたという経験があり、なおかつ素晴らしいどもりの「お手本」がたくさんいたからこそ、その許可書はサッと僕のものになったのだと思う。

 みんなからもらった許可書のおかげで、ようやく禁止令の呪縛が溶けた。禁止令がなくなった後には、想像もしなかった素晴らしいどもりの世界があった。

*** この作品は『吃音を生きる』に収録されています ***

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2000年度 最優秀賞

吃音笑い話 便器に向かって「失礼します」

金森 正晃

 今さら言うことでもないが 私はどもる。
 子供の頃からどもっていたが、大人になってもやっぱりどもる。どもる、どもる、どもる。そう私はドモリなのである。私は10歳の時どもっていた。20歳の時もどもっていた。30歳の時もやっぱりどもっていた。どもる、どもる、どもる。そう私はドモリなのである。
私は全ての言葉に対してよくどもる。でもどもりにくい言葉と、どもりやすい言葉がある。どもる、どもる、どもる。私が最も苦手な言葉。どもって絶対素直には出てこない言葉。それは「イ段」。そう即ち、イ母音で始まる言葉なのである。
イ、キ、シ、チ、ニ、ヒ、ミ、イ、リ、イ。この音で始まる言葉は、どう頑張っても素直に出てきてはくれない。私を子供の頃からいつも困らせ悩ませてる。
私は現在、和歌山県に住んでいるが、出身は島根県簸川郡斐川町三絡(しまねけん ひかわぐん ひかわちょう みつがね)という所。、どの部分を取ってもイ音で始まる地名なのである。私にはこんな地名言えるはずもなく、子供の頃から本当に困っていた。いまだに絶対住みたくはない我が懐かしき故郷である。私は故郷に帰ろうとすれば、これまたチケットを取るのに大変である。飛行機で帰れば出雲(いずも)空港、電車で帰っても出雲(いずも)駅。私はこの故郷にしばらく帰っていない。こんな場所、帰ってやるもんか。
そんなこんなで生まれ故郷を離れた私だが、故郷を離れたからと言って問題が解決した訳ではない。そう私は今でもどもり続けているのだ。いつも私から離れない、私を悩ます言葉、それはイ母音で始まる色んな言葉。
私はどもりながら大人になった。どもりと一緒に大人になった。そして職場に勤め始めた。もちろん、どもりを連れ添ってである。
勤続13年、私はいまだに職場の中で「失礼します」という言葉が言えない。最初のシの音がどうしても素直に出てこないのだ。少し私の職場での出来事を話そう。これはドモリのとても可笑しく、そしてとても悲しいユーモアたっぷりの話である。お気に入りのスキャトマン・ジョンのCDを聴きながら、さあ話し始めよう。
ある日、私は会社で机に向かっている。書類の整理も終わり、ゆっくりとコーヒーを飲みながら出陣の時を待っている。そう、今からこの書類を持って上司の部屋に行かなければならない。目指す部屋は「企画室長室」(きかく しつちょう しつ)。私の役目は室長室に入り、この書類の内容を室長に説明し、室長の承諾を得ることにある。私にはとても難しいことだ。成功する確率は極めて低い。さあ、今回はうまくいく事を祈って。いざ、出陣だ。
少し大きめのマグカップの中のコーヒーを飲み干し、書類を手に持ち部屋を出る。ゆっくりと廊下を歩きながら目的地に向かう。
ゆっくりと歩いたのにもかかわらず約3分で「企画室長室」の前に到着。ついに来てしまった。ここからが問題である。高鳴る鼓動を押さえ「大丈夫だ、大丈夫だ。」と自分に言い聞かせ、ドアの前に立つ。「・・・・・」。駄目だ、言葉が出ない。ドアが開けられない。今回もやっぱり駄目だったか。こうなると、もうどうすることも出来ない。よし、別の手を考えよう。誰かがこの部屋に用事で来るのを待とう。その人と一緒に部屋に入れば問題はない。五分待つ。誰も来ない。更に五分待つ。やっぱり誰も来ない。絶体絶命である。私は意を決しなければならなくなった。もう助けを待っている時間はない。自分の力で切り抜けてゆかねばならないのだ。さあ部屋に入るぞ!
「トン・トン・トン」。先ず、ドアを軽くノックしてみる。すると中から「はい、どうぞ」と室長の声。さあ、言うぞ!「・・・・・」。駄目だ、言葉が出てこない。再び中から「はい、どうぞ、入りなさい」の声。入りなさいと言われても入れないから困っているのに。「・・・シ・シ・・・」。顔を引きつらせ,身体に力を入れ、足で地面を叩く。「・・・シ・シ・・・」。やっぱりどもって言葉が出てこない。エーイ、開けてしまえ。
「ガタン」とドアを開けた後は、「シ・シ・シ・シ・・・」と、ひたすらシを連呼しながら室長の机の前に至る。私が「失礼します」の次に言わなければならない言葉、それは「室長、企画の資
料をお持ちしました。」だ。“室長”も“企画”も“資料”も、何でこんなに続くんだ。こんな言葉大嫌いだ。
「シ・シ・シ・シ・室長・・・あのあのあのあの・・・」。室長の机の前で再び、顔を引きつらせ,身体に力を入れ、足で地面を叩きながら,それでも言葉が出てこない。資料の細かい説明など出来る訳がない。こうなりゃ、もう早めに逃げるしかない。「あのあのあのあの・・・・」と連呼しながら書類を室長の机の上に投げ捨て、ドアの所に向かう。早々に部屋を出たいのであるが、ここでまた一つ、問題があるのだ。そうだ、私にはあの忌まわしき言葉、今度は「失礼しました」が待っているのだ。「シ・シ・シ・シ・・・」どもりながらドアをバタンと閉める。ドアを閉め終わって、しばらくしてから「・・・っっれいしました」と、カチコチに硬直している身体から、やっとの思いで言葉が出る。
毎度の事ながら今回も最低最悪だった。いつもながら少し自分がイヤになる。約一分間、自己嫌悪に浸る。しかし、いつまでも落ち込んでなどいられない。こんな事でいちいち落ち込んでいたら身体が幾つあってもたりはしない。なんせこんな事は私にとっては日常茶飯事。“ドモリ”とは、もう30数年来の付き合いの仲良しである。
でも取りあえず書類も無事、室長に渡したことだし、まあ、いいか。いつもながら直ぐに開き直ってしまうのである。悩んだって始まらない。私にとっては、「それはそれで良し」なのである。
しかし、とにかく疲れた。ホッとしたら急にオシッコに行きたくなった。トイレに行こう。トイレの入り口の所で、トイレのドアを開けながら言ってみる。「失礼します」。スムーズに口から言葉
が出る。何だ、簡単に言えるじゃないか。オシッコをしながら便器に向かって「失礼します、失礼します、失礼します」。いくらでも言える。横の便器にも言ってみよう。右の便器に向かって「失礼します、失礼します、失礼します」。左の便器に向かって「失礼します、失礼します、失礼します」。
上司の前ではどもって言えない。トイレの便器には簡単に言える。そうだ、これからは上司のことをトイレの便器だと思うことにしよう。便器だ、便器だ、トイレの便器だ。これならもう大丈夫だ。
いかん。職場で上司に向かってオシッコは出来ない。やっぱり私は「失礼します」は言えない。
スキャットマン・ジョンの歌が鳴り響いている。これが私の職場でのよくある出来事の話だ。おかしいだろ。ドモリの君も、ドモリじゃない君も笑ってくれたかな。だからドモリは楽しいんだ。
私はイの音で始まる大概の言葉は、本当に嫌いだが、でも中には好きな言葉もある。それは「しあわせ」と「きぼう」という言葉だ。私はドモリを通じて沢山の人から多くの幸せと希望を貰った。
「しあわせ」「きぼう」。この2つの言葉は、譬えどんなにどもってでも、自分の言葉で人に伝えたい。ドモリで良かった。ドモリに感謝する。

*** この作品は『吃音を生きる』に収録されています ***

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1999年度 最優秀賞

ことばよ――あなたと生きて

西村 芳和

100万回の罵りと
100万回の怒りと
100万回の拒絶とに
ことばよ
あなたは 本当によく 耐え抜いた
ことばよ
あなたと生きて
今 ここに
僕は ある
かすかに思う
僕の才能は
あなたによって 育まれていると
あなたを生み出す時の
あのドキドキ
あの不安
あの歪み
実は これが
ぼくの才能なのだ
あなたを生み出せた時の
あの喜び
あの誇り
あの充足感
あなたの最も崇高な才能は
決して終着点を見せないこと
1度や2度の成功に
安閑としておかぬこと
新たな深い縁へ誘うこと
あなたは
いつも
ぼくを駆り立てる
それはまるで
新しい荒野を見つけだし
鍬をもたせ 耕させ
種を蒔かせるかのようだ
そして
収穫祭も ほどほどに
また 新たな荒野へと誘う
近ごろ ぼくは
あなたを 武器として
利用しているようだ
あなたが どんな顔をしているか
どんな息遣いをしているか
どんな気持ちでいるか
もしかすると あなたは
とてつもなく
純粋で誠実でしなやかなのかもしれない
だからこそ
あなたは さまざまに 変形する
萎縮し 震え ごつごつする
あなたの 純粋さと誠実さとしなやかさを
ぼくが生きなくて
だれが生きよう
あなたの純粋さと誠実さとしなやかさを
ぼくのものにしよう
あなたは
ぼくの中のあなたなのだから
ことばよ
あなたと生きて
あなたの存在に
感謝しよう
そして
あなたの存在の才能を
信じよう
ことばよ
あなたと生きて
今 ここに
ぼくは ある

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