私のお守りの一冊
『治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方』感想文

溜 彩美(20代 会社員)

 
『治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方』
 
 第6章の「吃音はマイナス面のみか 吃音力の提唱」の中で書かれてある、未来からの過去の「意味づけ」ということばが、ものすごく印象に残りました。(P.104)
 
 私が昔受けたいじめは、ものすごく人間性を否定されたんですが、それを今、考え直してみると、「クラスメートが私をからかったり、いじめることでその人の気が済んだんなら、それでいいや」と、多少無理がありますが、それで私の気持ちが少しスッとしたように感じるから不思議です。
 確かに過去は変えられませんが、過去が変えられないなら、多少無理があっても、自分が納得できる意味づけをしたらいいのかなと思いました。
 
 第2章の「吃る人は具体的にどんなことで困り、悩んでいるのか」(P.23〜)、第3章の「ある成人吃音者の生活史から、吃音とのつき合い方について考える」(P.43〜)の前半は、自分の体験と重ねながら読んでいくと、あっという間に読み終えてしまいました。
 
 読んでいく中で、“一番辛かった中学生の頃は、吃ったままの自分の未来像が描けなくて辛かったんだ”と、改めて思い返すことができました。
 辛くて苦しくて、孤独感ばかりあった昔のことを鮮明に思い出しました。あんまり感傷的になると辛すぎて読めなくなるので、感傷的にならずに読むのに苦労しましたが、厳しいながらも温かい文章を読んでいるうちに、だんだん元気になっていくのが分かりました。
 
 今、私は吃音で悩むことは昔と比べてめっきり減りましたが、それでも悩むことはあります。ですが、悩んだときに“治したい”と思わなくなったのは、吃音教室の吃りながらも明るく前向きな人達と、常に関っているからだと思っています。
 私は「吃りはプラスだ」とはまだ考えられないですが、いつかそう考えられたらいいなあと思います。
 
 吃ることで辛いと感じたとき、そのほかのことでしんどいときも、この本を読むことで前向きな気持ちになれると思いました。
 
OSP機関紙『新生』2005年05月号掲載